目次

訳者まえがき                                                         1
はじめに ジム・ロジャーズ                                           7
謝辞                                                                 11

序章                                                                 13

第1章 ギルダー的時代                                               19
新時代の導師たち/不運の星/通信回線網の支配者/モーゼの帰還/デジタル人間は「分かってしまう」/狂人が金持ちになる/河は流れわたる/「パーソン・オブ・ザ・イヤー」/シスコの若者/オールドエコノミーのアイカーン/夢想家と陰謀家/情報の価値/インターネットの落書き/最新の秘密情報/群衆の誘惑

第2章 進歩と完成、そして歴史の終わり                               69
歴史を作る/進歩の神話/後ろ向きの進歩/夢の飛行/工業化が支えた大規模殺人/千年王国の楽観主義者たち/南京虐殺/パパ・トラップの涙/成功は失敗のもと/普仏戦争/失敗は成功のもと/1940年の完敗/行きつ戻りつ/自ら招いたことだ/私を滅ぼしてくれ/同じ土俵で/賢いお金/夢から現実へ/歩く前に走る/浮世の中で/安定が不安定を生む/信用を商う悪徳サークル

第3章 ジョン・ローと危うい考えの起源                                115
カンカンポワ通りの殺人/ミシシッピ・ブーム/過去を背負ったギャンブラー紳士/スコットランド低地地方の若者が祖国に戻る/不換紙幣を目指して/最高の出番/国家財政を再建する/バブルを膨らませる/無から生まれて/幻想の終わり/愚行の見本/ローに続く者たち――投機ブーム小史

第4章 日本的になる                                                   147
日本人は特別/日本株式会社/見えざる手/奇跡を期待して/そして、ひとつになる/新人種/世界トップクラスの、借金漬けの消費三昧/貯蓄生活者や負債者たちの嘆き/奇跡の経済の危機/金利上昇、株価下落、ローンの劣化/失われた10年/「われわれは富を失いつつある」/尾上事件/明らかな類似/Plus ca Change, Plus C'est la Meme Chose (いくら変わっても中身は同じ)/想像力がない/集団的妄想/ここにはゾンビはいない/中央銀行の過ち――教訓劇/FRBの懸念/長く穏やかでゆっくりとした景気不振

第5章 アラン・グリーンスパンの途方もない運命                          195
金よ、さようなら/リンカーンのグリーンバック/デカダンスから恐慌へ/世界で最も理性的な女性/金と経済的自由/アランの誘惑/マエストロ/根拠なき熱狂/私たちはグリーンスパンを信じる/グリーンスパンのプット/生産性の神話/間違った理由で/ジャンク債と間違った賭け/不意打ちの力/バブルに浸かって/グリーンスパンのプットは失敗に終わった/偉大なるグリーンスパン/最後まで立っていた者/エピローグ

第6章 群衆の時代                                                      247
群衆の狂気/知恵と伝統/集団的コミュニケーション/ニーチェを超えて/お粗末な貧困思考/抽象化された一般的知識/事実は事実、とはいっても……/プロでさえ予想をはずす/群衆の支配/歴史の長くゆるやかな歩み/窒息した「資本主義」/民主主義の神話/規制された「自由」/高尚な厚かましさ/自由の国/すべての目的に合った時代/出口を目指して/ル・ボンの「一般通念」/アメリカの世紀/民主主義的消費者資本主義/革命だ/伝統に対する攻撃/現代の、長く、のろい、なだらかな恐慌/集団化されたリスク/大バーゲン/良くも悪くも株主国家

第7章 人口学の厳しい計算                                            295
大規模な人口推移/西洋の老齢化/若者とイスラム原理主義/陽が沈み、老人の影響が強まる/故郷の老人たち/トレンドを生み出す者たち/消費者社会の出現/にせもののブーム/最近の堕落した資本主義/株に熱狂/壮大な幻想/悪い月が出た/新しい計算結果が届く/社会保障が危うい/年金プランの毒/ヘルスケアの拡大/さらなる貧困

第8章 最後の審判の日――アメリカのレバレッジが利かなくなるとき        337
気分によって/みんないっしょにSUVを買おう/あまりにも自信たっぷり/危険なドル/普通の景気不振ではない/日本の長い、ゆっくりとした不況/真の富と貧困/横行する嘘/おかしな貨幣/経済的行き詰まり/カンバン方式/帝国の領土拡大/最初の解決策/戦争をしてみよう/

第9章 モラルハザード                                                  385
「べきだ」のアプローチ/モラル・ハザードの勝利/ブーム、バブル、そしてその後/ドルの悲しい運命/成功の危険/10年単位のトレード/世界の終わりをくつろいで楽しむ方法

原注                                                                   417
参考文献                                                               425

訳者まえがき

 人口の高齢化とバブル崩壊後の負の遺産という2つの構造的要因によって、日本はゆっくりとしたソフトな恐慌に苦しんできた。そして、10年遅れてそれとぴったり同じ道を歩んでいるのがアメリカである。こういう出口のない状況のなかで投資家はどうやって自分の身を守るべきか、その答えを示そうとしたのがこの『金融と審判の日』である。その意味で、本書は投資家に行く道を指し示してくれる優れた投資書であることは間違いないが、ユニークなのはそのスタイルである。著者たちは市場の動きを分析するにとどまらず、それを取り巻く経済的、政治的状況に鋭く切り込み、日本を含めた世界の実例に目をやり、そして何よりも歴史が残してくれた教訓に学ぼうとする。このように空間と時間の大きな広がりを視野に入れながら、ソフトな恐慌を生き延びるために何が必要なのか、著者たちは皮肉とユーモアを交えながらやさしく語ってくれる。
 著者紹介にもあるように、ビル・ボナーは世界最大規模の経済ニュースレターを発行しているアゴラ社の創始者でCEOであり、世界中に数十万人の購読者をもつ金融サイト、デーリーレコニング(www.dailyreckoning.com)の主催者でもある。また、共著者のアディソン・ウィギンは同サイトの運営責任者である。
 アゴラ社はロンドンやパリをはじめとして世界の数都市に支店を持ち、ボナーはしょっちゅう海外に出かけている。まさに世界をまたにかけて仕事をしているわけで、全地球的な視点が自然に身についているのもうなずける。もともとアゴラ社は「インターナショナルリビング」という海外旅行・海外生活に関する世界最大の雑誌の出版から始まったのであるが、ボナー自身が実生活でそれを実践しているのである。
 ボナーは、『トゥモローズゴールド』(パンローリング刊)の著者マーク・ファーバーなどと並んで代表的なコントラリアン(contrarian)だとされる。コントラリアンというのは普通は逆張りの投資家という意味で使われる。大勢の人々が先を争って売ろうとするときにその逆をいって買いに入る(あるいは熱狂的に買われているときに売りに入る)手法が逆張りである。本書にも説明が出てくるが、行き過ぎた価格はいずれ平均に戻るという性質を利用して利益を上げようとするのである。
 しかし、コントラリアンというのは何も投資の世界に限られるわけではない。逆(contrary)をいくということからも分かるとおり、一般的に世の中の流れの外に立って、冷静な目で世界をとらえる者を指すこともある。ボナーはこの意味で正真正銘のコントラリアンである。世間の皆が信じて疑わないことに鋭い批判の目を向け、真の姿を描き出そうとする。デーリーレコニングのホームページにある「コントラリアン辞典」では、絶対の信頼を集めているグリーンスパンFRB議長を「神」と揶揄し、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長を「神が借金を頼む相手」とからかっている。このように世間の主なトレンドに従わない立場は、主流派からはすね者のようにみなされるかもしれないが、集団が全体として間違った方向に進もうとしているときには、それに待ったをかける重要な役目をもっている。ボナーとウィギンまさにそうした姿勢を貫き通している。本書には、投資や、経済や、政治や、そして人生についても貴重な進言があふれている。しかも、堅苦しく勉強するというのではなく、毎日の配信メール(デーリーレコニングのホームページで手続きできる)を読むような手軽さでコントラリアンの真髄に触れることができるのである。

 2004年4月16日

鈴木敏昭

はじめに

 プロ球団を買いたい、女の子と遊びたいと思う者もいるだろうが、私の聞いてるところでは、若者の心に浮かぶ一番の夢は「世界を見たい」ということだ。
 私はこれまでに2回世界1周をした。1回はオートバイで、もう1回はベンツで。ということは、私は世の大半の人以上にクレージーだということになるのだろう。
 私が世界旅行に夢中になるのは、旅行には冒険がつき物で、私自身、冒険が大好きだということもあるのだが、私にとっては、それが世界で起きていることを理解する唯一の方法だからだ。私は新聞もテレビも政府発表も信用しない。それらはほかのみんなも知っていることだ。私は自分の目で現場を見て知りたいのだ。
 ある社会について知ろうと思ったら、IMFや世界銀行の官僚やエコノミストと話したり、CNBCにチャンネルを合わせたりするよりは、遠くの国境を越えて、闇市場を見つけ、両替したり、地元の主婦と話したりするほうがずっと有益である。
 私はジャングルの国境を越える前に、その国について知る必要のあることのうち、25〜30%の知識を持っている。官僚組織についても、インフラ基盤についても、政治腐敗についても、経済状態や通貨についても知っている。また、その国での投資で稼げそうかどうかも知っている。
 今起きていることを知る別の唯一の方法は歴史を学ぶことである。私が大学で講義をしたり講演をしたりすると、きまって若者たちがこう聞いてくる。「成功して世界1周をしたいんですけど、何を勉強したらいいんでしょうか」
 私は必ず同じ答をする。「歴史を学びなさい」
 すると、彼らは判で押したようにとまどった顔をしてこう言う。「どういうことなのでしょう? 経済学とかマーケティングとかではないんですか」
 私はいつもこう言う。「君がもし成功したいのなら歴史を知る必要がある。そうすれば世界が常にどう変化しているかがつかめるようになる。現に起きていることの多くは以前に起きたことだと分かる。信じられないかもしれないが、株式市場は君が学部を卒業したときにできたわけではないのだよ。もう何世紀も続いてるのだ。ほかの市場も全部そうだ。現在のできごとは昔起きたことだし、これからも起きることなのさ」
 アラン・グリーンスパンは、自分は一度もバブルに出合ったことがないと公言している。私の知るところでは、彼の生涯に、物心ついてからでも数回のバブルがあった。1960年代後期にはアメリカ株式市場でバブルがあった。そして、石油バブルがあり、金のバブルがあり、クェートのバブルがあり、日本のバブルがあり、テキサスの不動産バブルがあった。グリーンスパンはいったいどういうつもりだったのか。たとえ、実際に見ていなかったとしても、少なくとも歴史の本で目にしたことはあるはずだ。この種のことはすべて繰り返し書かれてきたのだ。
 グリーンスパンに見えていない現在のバブルは、彼自身が作り出した消費バブルである。グリーンスパンは、消費によって国が豊かになれるという、まったく歴史的裏づけのない狂気じみた考えを持っているのだ。
 アメリカでは職に就いていれば税金を払わなくてはならない。貯金をして利子が付けばそれに税金がかかる。株を買って配当が付けば税金がかかる。値上がり益にもやはり税金がかかる。死ねば不動産に税金がかかる。社会保障を受けられるほど長く生きれば、社会保障からの所得にも税金がかかる。覚えておいてほしいのは、お金を最初に得たときにすでに税金を払っているのに、そのあとも繰り返し税金を払わされているということだ。  こういう政策のもとではあまり貯蓄や投資をしたいとは思わなくなる。むしろ消費が盛んになる。
 これとは対照的に、ここ30〜40年で成功した国を見ると、貯蓄と投資が奨励されている。この点、シンガポールは世界で最も驚くべき都市のひとつである。40年前それはスラムだった。今では国民ひとり当たりの外貨準備高では世界有数の国となっている。
 シンガポールがこれほどの成功を収めた理由のひとつは、その独裁者リー・クァン・ユーが、所得の相当部分を貯蓄や投資にまわすようにと強く要求したことにある。非難に値する独裁者や政治家はたくさんいるが、リー以外の連中は成果というものがまったくない、というより、それ以下のひどい有様だった。個人的自由に対するリーの政策がどんなものであれ、少なくとも貯蓄と投資を強制することだけはきちんとやった。
 貯蓄と投資を行う国は成長し繁栄するが、それを怠る国は衰退し滅亡することは歴史が証明している。
 読者が今手にしているこの本が示すように、アラン・グリーンスパンとFRBが金利を不自然なほど低く下げ、急速に信用を拡大する政策をとったせいで、1990年代後期にアメリカ株式市場にバブルが引き起こされた。最近、FRBの政策によってそのバブルはいっそうひどくなっている。FRBは株式バブルを消費と住宅のバブルに変えてしまった。
 もしこのバブルがはじけた場合、株式バブルよりもいっそう深刻な事態になるだろう。というのも、消費や住宅にはずっと多くの人々がかかわっているからだ。膨大なクレジットカードの負債を抱えた人々が、住宅価格が永遠に上がり続けることはあり得ないと気づいたならば、この世は怒りで覆いつくされることになるだろう。
 もちろんだれもそんなことは望んでいない。早くなんとかしてほしいと思っている。株を買ってそれが25%値上がりするところを見てみたい。それは去年現実に起きたことだし、テレビでもそう言っている。金利ももう1回引き下げてほしい。そうすれば景気が良くなると聞かされているのだから。
 ビル・ボナーはだいぶ前に私にこう書いてきた。「あなたが『アドベンチャー・キャピタリスト(Adventure Capitalist)』(ランダムハウス刊)に書いていることの多くは私の本の内容と重なっている――世界の国々の旅行記は別だが」  私ならさらに1歩進んで、彼が私の本の一部を書き、私が彼の本の一部を書いたかのようだと言う。同じテーマにまったく違った角度から迫って、同じ地点に到着した。貯蓄と投資を促す政策が政府に欠けているという指摘から、人口問題が21世紀の経済全体に対して及ぼす劇的な影響にいたるまで、私は、旅行の途中で見たできごとが繰り返し本書に現れるのに出合った。ボナーは歴史をひもとき、経済を研究することによってそれらを発見した。私はこの地上でそれらを間近で目撃した。
 私はボナーにこう返事を書いた。「言うまでもなくあなたは天才です。あなたと私は同じように考えます。ということは、破滅するのもいっしょだということです」

ジム・ロジャーズ

第7章 人口学の厳しい計算

人口学は運命である。――オーギュスト・コント

 スミス、リカードウ、マルサス、ミル、マーシャルなど初期の古典経済学者たちは、富の形成に若者と老人がどんな役割を果たすかについて深い関心を寄せていた。当時は出生率が高く、人口が増大していた時代であり、彼らの研究の関心は、人口の増加が賃金や貯蓄や生産高にどんな影響を与えるかとか、どの年齢階級が利益を受けるかとか、人口の増加は長い目で見てプラスか、などに向けられていた。  それから2世紀が経った今、ピーター・ピータソンはその著『グレイ・ドーン(Gray Dawn)』のなかで、私たちは別の問いかけをすべきではないかと指摘している。老齢化が進み、人口が減り始めたら何が起こるのかが問題だというのだ。この章では、人口学的な推移の影響について述べるが、その理由は、それがただひとつの主要な趨勢だからというより、見過ごされやすい趨勢だからという点にある。

 大規模な人口推移

 歴史家のジャック・アンドリュー・ゴールドストーンが自著『レボリューション・アンド・レベリオン・イン・ザ・アーリー・モダン・ワールド(Revolution and Rebellion in the Early Modern World)』のなかで主張しているところによれば、ヨーロッパの大革命――イギリス革命とフランス革命――と、オスマン帝国や中国と日本の諸王朝を滅ぼしたアジアの大反乱との間にはひとつの共通点がある。これらの重大事件が起きたのはいずれも、硬直化した政治的・経済的・社会的制度に対して、人口が増加すると同時に手元の社会的資源が減少するという二重の重圧がかかったときだったのである。1700年代の初めごろには、出生率が高かったのに、(伝染病のような)病気や飢えによる死亡率が減少したので、ヨーロッパ全体で人口が増え始めた。近代初期にはだいたいずっと出生者数が死亡者数を大はばに上回っており、ベビーブームの状態になった。人口学者のマイケル・アンダーソンによれば、1750年から1850年までの100年でヨーロッパの人口は倍になった。フランス革命などが起きた1700年代後期の「民主主義革命の時代」は、若者の比率の拡大と対応していた。
 フランスでは革命の前もそのさなかも、地方の、手に負えない膨大な数の若者たちが社会的ストレスの大きな要因となっていた。フランスの人口は18世紀の間に800〜1000万人増えていた。これに比べて、前世紀の増加はたった100万人だった。1772年ごろ、アベ・テレイはフランス最初の本格的な人口統計調査を始めた。その推計では人口は約2600万人だった。
 1789年のフランス革命直前には、ルイ16世はその国土に約3000万人の臣下を従えていたと考えられるが、これはロシアを除いた全ヨーロッパの人口の2割を超えていた。ジョージメーソン大学が発表した研究が示しているように、これだけ人口が多ければなんらかの影響が出るはずだった。おそらく間違いなく、フランスの政治と経済に作用したはずだし、さらに言えば、ルイ14世が国と首を失うことにもつながったはずだった。
 同じように、ロシアの人口も1850年代から第一次大戦の開始までに倍化した。1855年の7300万人が1913年には1億6800万人になったのである1。それだけの人間に食べ物と住居を与えるのは、そのときの体制には荷が重すぎた。地方での主な問題は土地が足りないことだった。急速に人口が増えたせいで、ひとり分の広さは、1861年の平均5ヘクタール強から1900年の3ヘクタール以下へと減少した。
 西洋では膨れ上がる人口は工業が吸収していた。だが、ロシアでは新しい人口の3分の1しか組立てラインに配置することができなかった。何か手を打たないと地方が爆発しそうな雰囲気が強まっていた。農民たちはこの問題をあっさり解決した。地主の私有地を全部取り上げたのだ。
 ロシアの歴史家レフ・プロタソフは、2001年のヨーロッパ人口学会で論文を発表して、ロシア革命に先立って民衆の不満が高まっていたが、このことに人口の要因が重要な役割を果たしていたと指摘した。奇妙なのは、革命遂行の担い手となった急進派のかなりの者が1880年に生まれていたことである。プロタソフによれば、「80年代世代は急進派のほとんど60%を占め、左派勢力の中心となっていた。社会革命党の62%、ボリシェビキの58%、『国家』社会党の63%、メンシェビキの47%が80年代世代だった。たしかに、20世紀初期における若い急進派たちの大勢力は、歴史家の注目を集めていた」  地方では、スイカの種が吐き出されるような具合に子供たちが生まれており、村は埋めつくされて加熱状態になっていた。医療の改善と栄養や衛生の向上のおかげで、乳児や児童の死亡率は低下していた。プロタソフは次のような結論を述べている。「1905年と1917年のロシアの政治的激動は、経済的、政治的な要因だけでなく、自然法則によっても『準備』されていた。19世紀の最後の20〜30年に起きた人口の爆発的増加は、近代化の問題をより厳しいものにしただけでなく、社会からの取り残しの現象を加速させ、将来の革命の担い手の前線に豊富な『人的素材』を提供することにもなった」
 人口の爆発的増加は問題を引き起こした。ところが、今では人口が減少しつつある。そして、その影響は同じくらい悲惨なものになる可能性がある。すべての先進国は、年をとった退職者を扶養するのに、若年労働者が払う税金をあてにしている。しかし、西洋社会がもっと多くの若者を一番必要とするちょうどそのときに、人口の減少と老齢化がやって来るのである。

 西洋の老齢化

 1999年12月12日、世界の人口は60億人を突破した。ポール・エーリックが『ポピュレーション・ボンブ(The Population Bomb)』を出版した1970年代以降、世界の大半は新マルサス主義的な人口過剰の恐怖にとらわれていた。それが最近では、『グレイ・ドーン(Gray Dawn)』や『エイジクエイク(Agequake)』などの本の影響で見方が変化してきている。今や先進国の多くは老齢にじりじりと近づいている。現在、65歳に達した人の少なくとも半分が生きている。
 歴史上の大部分の時期、65歳以上の年齢層はだいたい人口の2〜3%程度のものだった。ピーターソンによれば、ハムラビやジュリアス・シーザーの時代、あるいはトマス・ジェファーソンの時代〔でさえ〕、65歳以上の人に出会う確率は非常に低く、40人にひとりにすぎなかった。今では、この確率はだいたい7人にひとりとなっており、数十年後には4人にひとり――イタリアのような極端なケースでは3人にひとり――になるはずである。経済協力開発機構(OECD)によれば、先進国では2030年までに、65歳以上人口が8900万人増える見込みであり、これに対して、労働年齢にある成人の人口は3400万人増えると推測されている。
 1960年には、65歳以上の人ひとりに対して7人の労働年齢の人がいた。2000年にはこの数字が4.5人に低下した。先進国では、2030年の時点で、老齢者ひとりを扶養する労働年齢者はたった2.5人になるとOECDは予想している。
 人口構造の変化に加え、先進国では退職する年齢が低くなっている。その結果として、退職した年金生活者を支える納税者のプールは急速に縮小している。西ヨーロッパの高度に発達した福祉国家ではこの減少は驚くべきものである。フランスやドイツやイタリアでは、65歳以上で働く人の数は100人のうち5人にも満たない。これらの国では2050年までに、たったひとり(イタリアではそれ以下)の納税者がひとりの年金生活者を扶養するような事態になる、とIMFでは見ている。
 ゲーリー・ノース博士は私たちが「愚者の楽園」に生きていると考えている。西洋の民主主義的先進国(日本を含む)では、すべての国民が政府の保証した退職年金と医療保険の制度によって「即金払い」の給付を受けることができる。ところが、西洋のどこの国でも夫婦の平均子供数は2.1人を割っている。この2つを合わせれば答えは簡単に出る。経済活動にたずさわる労働者の数が減って、老齢年金制度に十分な資金を供給することができなくなるのだ。
 神話と現実の争いのなかで、ここでもやはり大衆は神話を選び、全員が他人のふところをあてにして退職できるものと信じた。ねずみ講や市場のバブルと同じで、最初に加わった者はけっこうな利益にあずかることができた。わずかな額を支払って、思っていたより長生きすれば、正当な取り分をはるかに超える金額を引き出せたのだ。あとから参加した者は帳尻を合わせるのがかなり難しくなっている。寿命が伸び、退職の年齢が低くなると、世の中の労働年齢人口にかかる負担が耐え切れなくなりかねないからである。

 若者とイスラム原理主義

 西洋の人口の減少によって引き起こされる厄介な問題のひとつは政治的なものである。2001年9月13日にはテロリズムとの戦いが宣告されたが、潜在的なテロリストは膨大な数にのぼるという単純な理由からして、その戦いは高いものにつきそうである。世界全体の人口のなかで、西洋人が占める割合は低く、それがさらに低下しつつある。1900年には全人類の30%を占めていたのが、1993年には13%になり、この趨勢が続けば2025年には10%にまで下がる見込みである。これとは逆に、イスラム世界では若者が増え、人口も増大している。
 実際、世界の総人口に占めるイスラム人の割合は、20世紀を通して劇的に拡大した。今後もその傾向は続くと見込まれ、いずれ西洋人とイスラム人の比は、1900年のときとは逆になりそうである。イスラム人は、1980年には世界の人口の18%だったが、2000年には20%を超えた。2025年にはそれが30%になりそうである。
 サミュエル・ハンチントンはその著『文明の衝突』(集英社刊)のなかで、20世紀後期にイスラム勢力が復活した主な要因は、こうした人口推移にあったと述べている。それによれば、「イスラム諸国の人口増加、とりわけ15〜24歳の年齢群の拡大によって、原理主義やテロリズムや暴動や移民に加わる者も増えている。人口の増大はイスラム諸国政府と非イスラム社会の脅威となっている」。
 イスラム勢力の復活は1970年代と1980年代に始まったが、それはちょうどイスラム諸国の15〜24歳の若者人口が爆発的に増加したときと重なっていた。この時期、多くのイスラム諸国ではその層の割合が全人口の20%を超えることもあった。これらの若者たちはイスラム組織と政治運動の担い手の潜在的な供給源となっている。例えば1979年のイラン革命はイランの若者人口のピークと一致していた。
 「これから先何年にもわたって、イスラム世界の人口は、異常に若者層の割合が高く、特に、ティーンエイジャーと20代の層が突出して多くなるであろう」8とハンティングソンは述べている。このことをどう考えたらいいのだろうか。
 ハンティングソンによれば、こうしたイスラムの若者層の突出と最もよく対応する西洋社会のできごとはプロテスタント改革である。
 皮肉なことに、イスラム社会における原理主義運動もプロテスタント改革も、その発生は「現存制度のよどみと腐敗」への反発が引き金になった、とハンティングソンは言う。両者とも、「その宗教を、伝道や儀式や戒律の面で、もっと純粋でもっと厳しいかたちに戻す」ことを主張し、そのために、活力あふれる新興の中産階級に訴えかけた。また、いずれも、そのときの政治的、経済的秩序に歯向かった。そして、原理主義運動の脅威に関するかぎり、それに対する西洋主要国の防衛出費はあまり適切なものとはいえないようである。
 「プロテスタント改革は、若者による運動としては歴史上傑出したもののひとつである」とハンティングソンは書いている。そして、ジャック・ゴールドストーンを引用しながらこう続ける。「18世紀最後の20〜30年の民主主義革命の時代は、西洋諸国で若者層の割合が特に高くなった時期と一致する。19世紀になって工業化と移民がうまくいくと、ヨーロッパ社会では若者層による政治的影響が緩和された。しかし、1920年代にはまた若者層が増えて、ファシストやそのほかの過激組織の予備群となった。その40年後には、第二次大戦後のベビーブーム世代が60年代のデモ活動で名を上げた」
 一般的に言って、若者は社会に対して反抗や革命につながるような影響を与えるが、もし老齢層が増えたら何が起こるだろうか。まったく反対のことが生じるのだ。
 年をとると普通、ものごとを恐れ、欲望を感じなくなる。年配の人々は日々、若者ほど多くのことを欲しないものである。例えば友達や親戚や連れ合いを感心させたいとは思わなくなる。要りもしない品物を買うことはなく、どちらかと言えば、必要な物が得られなくなることのほうを恐れる。これはごく当然のことである。行動の機会が少なくなったことを意識すれば自然にそうなるのだ。40代ならばやり直すことができる。だが、60代も終わりになれば、その意欲もエネルギーも失われる。その結果、必要なときに必要な物が手に入らなくなるのではと不安になり、アルミ箔から、お金から、ぼろ布から、なんでもかんでもため始める。年のいった人々はだいたいこんなふうに行動するものである。しかし、社会が年をとるとどんな状態になるのだろうか。ここでまた海のかなたをちょっと見てみる必要がある。日本はどうなっているのか。

 陽が沈み、老人の影響が強まる

 日本ではすでに急速な老齢化が始まっており、先行的なテストケースとして警戒信号を発している9。1980年代初めの日本は先進国のなかで一番若い国だった。だが、2005年には一番年老いた国になりそうである。日本では、15歳未満の子供ひとりに対して、老人(ここでは65歳以上の人と定義する)が105人いる10。世界中のマーケティング担当者はとうにこの趨勢を読んでいた。そして今、日本を研究して、消費者が老齢化したとき、どんな状況が生じるのかをつかもうとしている。例えば、日本で衰退しつつある業種としては小児科、玩具、教育などがあり、その一方では、介護、レジャークルーズ、ペット、仏像などが大きな関心を集めている。
 日本の新聞は「出生率の急低下」や「人口問題」について騒ぎ立てている。2010年までに、日本の老齢者扶養率(労働年齢人口を老齢者数で割った値)は先進経済国で初めて3以下になりそうである。現在、15歳未満人口は全人口の14.3%であるが、日本の人口は2050年には今の1億2700万人から1億人に減少する見込みである。この数字は現時点での趨勢を基に算出したものだから、憶測ではなくちゃんとした根拠がある。
 では、世界のほかの先進諸国と比べて、なぜ日本の趨勢はそれほど際立っているのだろうか。それは、アメリカやヨーロッパと違って、日本では第二次大戦後、赤ちゃんの数がいったん増加したのちにもっと激しく減少したからである。1960年代初めに、出生率が20年前の半分の水準にまで急低下したのである。最近では、25歳から29歳の未婚女性の数が1950年の2倍になっており、当然とも言えるのだが、出生率も低下を続けている。
 また、日本人はほかの国の人々に比べ長生きである。1998年にはその平均寿命が世界で始めて80年を超えた。1950年には65歳の人の平均余命は12年だった。今ではそれが19年になっている。そして80歳になったら? 計算上は89歳の誕生日を祝うことができることになっている。
 この調子で行けば、2015年には日本国民の25%が65歳以上になる見込みである。2050年には国民の42%以上が60歳以上となり、15%以上が80歳を超えるとされている。トヨタ自動車会長の豊田章一郎博士はこうした数字を見て、日本人という人種はちょうど800年後に絶滅すると冗談を言った。厚生省の報告によれば、もし「あえて計算をするなら、日本の人口は……3000年には500人になり、3500年には1人になると見込まれる」
 こうした老齢化の影響はどんなものだろうか。アナリストのヤグイ・ウェイはアメリカ国勢調査局の報告11を分析して、だれでも気づくことに気がついた。「どのような基準で考えても、社会のひとりひとりの構成員は、普通、成長するにつれて能力が向上するものであり、ある年齢でそれがピークに達し、やがて年をとるに従って下降線をたどる。体力だろうが、性的能力だろうが、収入力だろうが、全部このことが当てはまる」
 2002年秋、エール大学のコールズ経済学研究財団は、人口の趨勢と投資行動とを比較した研究を発表した。それはウェイの結論が正しかったことを示した。老齢者は生活の質を落とし、出費を切り詰め、借金を返し、貯蓄を増やす。人は中年から老年に入るにつれて、退職に備えてだんだん貯金を増やし、所有していた株を売り払う。このことは、1989年に日経平均が急落したのにも直接響いているだろうし、間違いなく、過去12年間の経済不振をいっそうひどいものにした。
 日本で消費者社会が発達したのは1970年代のことであるが、それはベビーブーム世代の大半が中年になった時期だった。資産バブルが起きたのは1980年代の後半のことであるが、それは人口の最大層が45〜54歳という一番出費の激しい時期に入ったころだった。引き続き起きたバブル破綻は、そうした人々が退職の準備を始めた時期だった。資産バブルの間に、日本のマーケット指標は10倍以上になった。しかし、バブルの10年が終わったとき市場は暴落し、3分の2の価値を失っていた。
 ポール・ウォーレスは次のように書いている。「1990年を通して、日本問題の核心は、貯蓄のフローに見合うだけの投資機会がないという点にあった。日本人は退職に備えるために巨額の貯金をしていた。しかし、それまでの出生率の低下のせいで労働年齢人口は減少し始めていた。ということは、資本を投入すべき相手となる人間の数が減るのだから、それだけ投資機会が少なくなるわけだ」。1990年代における日本の経済危機の「根本原因」は人口問題にあったのである。
 日本のベビーブームは1945年に始まって1950年に終わった。その45年後、日本市場は暴落した。それ以降、ベビーブーム世代が退職のために貯金を増やすのにつれて、株式市場も経済も後退した。こうした人口学的なパターンは、アメリカで1990年代後期に起きたバブルとその破綻の過程に薄気味悪いほどよく対応している。日本でベビーブームが終わった1950年は、ちょうどアメリカのベビーブームが始まった年だった。そして、アメリカの出生数のピークは1955〜1960年の5年間に生じた。日本のピークの10年後だった。

 故郷の老人たち

 アメリカの国民もまた年をとり、長生きになっていた。国勢調査局の予測によれば、2040年には長期年功手当受給年齢層(65歳から74歳までの層)は80%増加し、81歳以上の年齢層は240%も急増する見込みである。ピーター・ピーターソンの指摘によれば、1900年には、85歳を超えるアメリカの住民はわずか37万4000人だった。2000年にはその数は約400万人で、2040年には1300万人を超えそうである(筆者たちもその仲間に入りたいものである)。2040年に今の3倍以上になるはずの81歳以上の年齢層は、通学年齢にある子供の数を上回る見込みである。
 ヤグイ・ウェイは、平均収入が一番高いのは45〜54歳の年齢層で、次は35〜44歳の年齢層であることに注目している。ウェイはさらにこう述べている。「ごく普通の人の場合、46歳以前には、収入レベルはたいてい上がり続ける。そして、退職後のことを考えて、この期間に、退職基金や積立貯金にまわす可処分所得をだんだん増やしていく。46歳を過ぎるとたいてい収入は減少し、貯蓄にあてられる割合も少なくなる」(図7.1参照)。
 もしハリー・デントが言うように支出と投資がピークに達するのが46歳なら13、2000年が市場のピークだったと推測される。デント自身は2008年にブームが来るだろうと考えているが、この計算には賛成しがたい。ベビーブームの時期のちょうど真ん中は1954年であり、それに46年を加えた2000年という年に株式市場がピークに達したと考えるべきである。ベビーブーマーが中年後期の年代(55〜59歳)になれば、通常なら手持ちの株を売って退職の準備をし始める。また、支出を少し押さえ、貯金を少し増やすだろう。
 日本の前例が示しているように、若者中心から老人中心への人口構造の変化は、かつての若者による革命と同様に、「既存の政治経済体制」に対し大きな課題を突きつけることになりそうだ。何百万人もいる退職予定者のことを考えてみるとよい。彼らはもう大きな家に住み替えるために借金をすることはない。家族旅行のために大きな車に買い替えることもない。必要な家電製品も便利な道具類も全部そろっている。もはや「長期的目的」のために株を買うこともない。
 株は10年も15年も前に買ってある。今や、長期的目的を実行すべき時期になったのだ

 トレンドを生み出す者たち

 1946年から1964年までの間に7800万人のアメリカ人が生まれた。これはアメリカ史上最大の人口増加だった。ベビーブーム世代としてもこれまでで最大で、1980年代半ばには全人口の3分の1を占めた。1953年にベビーフードの缶詰の売上げが12億ドルになったのを皮切りに、2002年には1億5000万枚のクレジットカードが発行されるなど、ベビーブーム世代は大きな存在感を示してきた。
 ベビーブーム世代の大きさと影響については、これまでにも多くのことが書かれてきた。私たちはやや違った観点から述べることにしよう。戦後生まれの7900万人の集団は、群衆の歴史のなかに置いて見た場合、これほど大きく、これほど自己意識の高かったものはなかった。以前には、こんな規模の大集団が一体となって成長したことはなかった。現代のコミュニケーション手段、特にテレビのせいで、全国のベビーブーマーたちは互いにつながりを保ちあった。彼らは「ミッキーマウスクラブ」とか「ビーバーちゃん」とか「ディック・クラークのアメリカン・バンドスタンド」とかのテレビ番組を、お互いの姿を重ね合わながら見た。何時間も果てしなく続くテレビを見てダンスの踊り方を覚えただけではなく、音楽の好み、服の着こなし、しゃべり方、そして考え方まで教わった。
 こうした人間の大集団がアメリカ社会でどう行動し、それをどう変えたかについては、これまでもうんざりするほど語られてきた。そのなかで十分に理解されていなかったことは、それ以前のどんな人間集団とも違って、ベビーブーマーたちは途方もないスケールで群衆の狂気に染まることがあったという事実である。彼らは自分たちの気にいった考えは全部取り入れ、それを単純化し、広め、低俗化し、好きなポピュラーソングを口ずさむように気軽に実行した。若き革命家は中年になるとブルジョアになった。そして、株式市場で特大の買い手になることによって、特大のブームを作り出した。そして、この先待っていることを先取りしていうならば、特大の破綻を引き起こしそうなのだ。
 ウィリアム・ストロースとニール・ハウの本『フォース・ターニング(The Fourth Turning)』には次のような一節がある。「『私は人間だ! 折り曲げるな、ピンに刺すな、ちょん切るな!』。1964年、バークレイ校キャンパスのスプラウル・ホール前のピケ隊が持つプラカードにはこう書いてあった」。これらのデモ参加者の多くは20〜30年後にはシリコンバレーの会社員になっていたことだろう。しかし、そのデモでは、大学が学生用に導入しようと決めた「コンピューター・カード」をそんなふうにおちょくっていた。
 一世代前のアレン・ギンズバーグとビート族たちが、静かな詩の朗読会で抗議の声を上げていたのに比べ、ベビーブーマーたちは不満を通りに持ち出した。それがどんな不満で、だれに対するものなのか、さっぱり分からなかった――特にご本人たちがそうだった。ストロースとハウによれば、「ベビーブーム世代のヒッピーたちは、拡声器を使って『交渉の余地のない要求』について叫んでいたが、聞き手がいようがいまいがおかまいなしだった」
 「波長を合わせ、ハイになり、ドロップアウトしよう」と彼らは歌った。
 1960年代の経済はエネルギーに満ちあふれ、望めばみんな職に就くことができた。仕事にあぶれるリスクはかけらほどもなかった。「キャンパスの反乱者たちのほとんどは、ちょっとそう言えば、たちどころにアメリカンドリームの道に戻れると考えていた。将来の計画を立てることは造作もなかった」とストロースとハウは書いている。当時のポピュラーソングはベビーブーマーにこう呼びかけていた。「ラ、ラ、ラ、今日に生きよう。明日はどうにでもなる」。新興のベビーブーマーたちは、髪を伸ばし、くくり染めのTシャツとすそを切ったジーンズを身につけることで、「グレイのフラノのスーツ」を着た人間が作るひどく秩序だった社会に意識的に反抗していた。1967年のアカデミー賞を受賞した映画「卒業」のなかで、キャサリン・ロスは出世階段に近づいていったとき、心のなかの何かが「止まれ」と叫ぶのを聞いた。ベビーブーム世代は少しの間、止まった。
 ベビーブーマーは倫理の問題としてベトナム戦争に反対したが、それは徴兵制が廃止されるまでのことだった。彼らは我慢ということができず、すぐに欲求が満たされることを求め、欲しいものが手に入らないといらだち、腹を立てた。出会ったもの――セックスや麻薬やロックンロール――はなんでも自分たちが作り出したと思い込んだ。
 ある年配の上院議員の語るとこでは、ベビーブーマーたちは何に対しても批判的で、すべてが気に入らず、細かなことに無頓着で、妥協を知らなかった。完璧さを賛美したが、おかしなことに、自分たち以外の何者にもそれを認めなかった。人口学者のウィリアム・ダンに言わせれば、その世代の典型はクリントン大統領である。「やや自分勝手で、自分や自分の同世代人はほかの者より利口だと、相当に自信をもっている」のだ。
 しかし、10年もたたないうちに、ドリームマシンに舞い戻るベビーブーマーの能力は生まれて初めて試練を受けることになった。1970年代になると、1929年の大暴落以来ひさびさの大弱気相場が始まったのだ。
 1973年にアラブ諸国が行った石油輸出禁止は経済に大きな打撃を与え、景気後退を引き起こし、単純な仕事は見つけるのが難しくなった。「経済が変調をきたすと、多くのベビーブーマーたちは、金儲けなどするものではないとする理由を新しく見つけ出してきた。ダートモス大学の卒業生代表は、同窓生の歓声にこたえながら、『僕がプランを立てなかったのは、立てるだけの価値のあるプランなどなかったからだ』と言い切った」とストロースとハウは書いている。実際、「やるべきことはほとんどなかった」と、音楽プロモーターのビル・グラハムは同世代の若い過激派について語っている。彼らは、ビートルズの歌にあるように、革命が来てほしいと喜んで言った。しかし、いざ何かする段になると、たいていのベビーブーマーは歌の文句のように「僕を除いてもやっていけるって知らなかったのかい」と口にした。彼らの青春はかんしゃくのように過ぎていった。

 消費者社会の出現

 1980年代とともに、ベビーブーム世代は、家族生活と中年と、以前には避けていた物質的な欲望の時期に入った。「マリワナから白ワインへ、進んだ(ヒップ)コミューンからケープコッドの夏の休暇へと、かたぎの生活に戻るべきときが来た」とトッド・ギトリンは回想している。スヌーピーとウッドストックはベビーブーマーたちに「私たちに会って。損はさせないから」と語りかけていた。ベビーブーム世代は「活気が中断された状態にいつまでもとどまっていることができなかった」とストロースとハウは言う。要するに、彼らは消費生活とキャリア志向を核として燃え始めたのだ。
 1984年3月25日、ニューヨーク・タイムズ紙はヤッピーの年を宣言した。ヤッピーたち(若い都会派の専門職)は結婚して子供を持ち始めた。そうするのが進んだことだった。「満足を先延ばしにすることが、突如としてはやり始めた」とウォールストリート・ジャーナル紙は80年代半ばに書いた。
 ところが、問題があった。これまでベビーブーム世代は、ただその数の力で自分たちの思いどおりにやってきたが、突然その数が逆向きに作用し始めたのだ。80年代の労働市場では、多くのベビーブーマーの賃金が低下した。「国中に流行の品やダイエット食品があふれ、ニューズウィーク誌が『超越的な獲得競争』と書いたような状態で飲料水のペリエが売り切れ、そのことでジョークがはやった」。しかし、ベビーブーム世代は親たちの生活水準を超えることはおろか、そこに到達することさえできなかった。アメリカ経済の歴史で初めてのできごとだった。
 80年代にはベビーブーム世代は中年になっており、退職に備えて貯金をする必要があった。だがその逆に、彼らは借金を増やした。収入の見通しが開けない現実にあって、信用の魅力はあまりに強く、抑えることができなかった。クレジットカードのアメックスは「会員には数々の特典があります」としつこく誘いをかけてきた。ベビーブーマーたちは山をなして契約をした。FRBによれば、1999年にはベビーブーム世代の42%以上がクレジットカードの負債を抱え、その平均額は1万1616ドルになっていた(図7.2参照)。
 ベビーブーマーたちは集団で借金漬けになった。そして、消費狂いは90年代に入っても続き、クレジットカードの債務と住宅ローンの残高は膨れ上がった。たいていの者が、ためずに使いまくった。何百万人の消費者によるこうした大消費は目を見張らせるような効果をもたらした。アメリカ経済はやがてクレジットやSUVやアウトレットであふれた。ベビーブーム世代の生活が変化するにつれて、経済の中心は生産から次第に消費へと移っていった。90年代終わりころには、この動きは異様な状態にまでなっており、1997年から2001年までの間に、国内総生産(GDP)の1ドルの増加に対して、信用と負債のほうは4.8ドルも増加するほどだった。
 財をなすのには何が必要だろうか。時間、労働、想像力、能力、忍耐。入ってくるお金を一銭残らず使ったのでは財産を増やすことはできないのだから、少しは取っておいて資本改善のために投資をすることが必要である。だが、この世代は、これまで苦労して作り上げられてきた伝統を引き継いでいなかった。彼らは貯蓄したり投資したりする我慢強さをもたなかった。
 しかし、心配は無用。史上最大の信用の伸びのおかげで、アメリカ経済は空前のブームに沸いていた。とはいえ、それは奇妙なブームだった。各家庭は生活水準を維持することができたし、家計が良くなっているという幻想を楽しむこともできた。だが、それは単に借金にのめりこみ、働く時間を増やしただけの結果にすぎなかった。
 アメリカ人は利得の取得(キャピタルゲイン)と利得の蓄積との区別ができなかった。たしかに、自分の株式ポートフォリオを見て、金持ちになったと考えるのも悪くなかった。しかし、そのとき、負債は歴史的な水準にまで膨れ上がっていた。1989年の日本と同様に、世界の頂点にあると信じていたアメリカは、資産価値をとんでもない高さにまで押し上げた。だが、日本人と違って、アメリカ人は世界一の債務者でもあり、ほかの国ではあり得ないほどたくさんのお金をたくさんの人から借りていた。
 彼らは自分たちが考えていたほどの金持ちだったのだろうか。数字を分析するのは難しいし、誤ることも多い。しかし、それを分解してみると、まるで安物の大邸宅が大きめのトレーラー・ハウス並みになってしまうようなものだった。
 ポール・クルーグマンは2002年10月20日のニューヨーク・タイムズ紙に書いた記事で、この問題を取り上げた。「過去30年の間、大多数の人の給与は少ししか上がらなかった。アメリカ人の平均給与は、1998年のドル価値でいえば(つまりインフレ調整をすれば)、1970年の3万2522ドルから3万5864ドルまで上がった。29年の間に約10%増えたというわけだ。進歩といえば進歩だが、たいしたことはない。
 世帯所得の平均値――総所得を世帯数で割った値――は1979年から1997年までで218%増えた。しかし、そのメディアン――すべての世帯所得の中央の値で、アメリカの平均的な家庭について知るにはよりよい指標――で見た場合には10%しか増加していない。そして、下から5分の1の層では所得が逆にやや減少している。……世帯所得のメディアンは毎年0.5%しか増えなかった。そのうえ、あまり信頼できないデータによるのではあるが、この増加分のほぼ全部が、主婦が外で長く働くようになった結果生じたものであり、実質賃金はほとんど増えていなかったのである」

 にせもののブーム

 このブームの正体はいったい何だったのだろうか。これまでで最も活力に満ち、最も技術の進歩した資本主義社会が、その車輪に油をさし、不要物をゴミ捨て場まで持って行ってくれた人々に、なぜ報酬を与えようとしないのか。何か裏にあるのだろうか。そう、確かにそのとおり。
クルーグマンは論を進めて、21世紀初めの自由起業、自由競争のアメリカと、新時代の大ブームがほとんど起きなかった擬似社会主義的なスウェーデンとを比較している。

 スウェーデンの平均寿命はアメリカより3年ほど長い。乳児死亡率はアメリカの半分の水準である。機能的文盲はアメリカよりずっと少ない。スウェーデン人のほうが長い休暇をとり、従って年間の労働時間もアメリカより短い。スウェーデン全体のなかで順位が真ん中の家庭は、アメリカの同順位の家庭とだいたい生活レベルが同じくらいである。賃金はどちらかといえばスウェーデンのほうが高い。税負担はスウェーデンのほうがきついが、その代わり公的な医療保険があり、全体的に行政サービスがより充実している。所得分布の下位のほうで見た場合には、スウェーデン人の生活水準のほうがずっと高い。子供のいる家庭で10パーセンタイル――つまり下から10%の順位――のもの同士を比べた場合、スウェーデンのほうが60%も所得が高い。また、極端な貧困状態にある人はスウェーデンではほとんどいないが、アメリカではごく普通に見られる。1994年には、スウェーデン人の6%だけが1日11ドル以下で生活していたが、アメリカではそれが14%もいた。

 このような知識を基にしていろんな違った結論を引き出すことができる。いつものことだが、クルーグマン自身はバカげた結論を出している。だが、これらの事実は価値がある。アメリカの大ブームはインチキだったと教えてくれているのだ。
 多くのベビーブーマーにとって、結果的には、出世も給料も期待どおりにならなかった。時間当たり実質賃金は70年代に伸びが止まり始めて、それ以後ほとんど良くならなかった。エコノミストのゲーリー・ノースによれば、「収入全体の点でいえば、受け取る金額は増えた。しかし、実質賃金の点でいえば、1973年から2000年までほとんど上昇がなかったといっていい」
 ベビーブーマーの親の世代が収入と支出のピークにあった1947年から1973年の間、各世帯の生産性と収入は着実に増加した。しかし、新聞が「貪欲の時代」と呼んだ1973年から1993年までの間、家計所得の伸びはゼロだった。主婦たちは、収入を減らすまいとして外に働きに出た。ところが、そのことで意外な結果がもたらされた。男性の実質賃金が減少したのだ。表7.1に示したように、1979年の男性の平均週給は677ドルだったが、21年後の2000年にはそれが33ドル分減少していた。一方、女性は同じ20年間で週給が増えたが、それはたった47ドルだった。そして、給与の額そのものは男性より低いままだった。
 ノースが示したように(表7.1)、「アメリカの世帯の所得は低迷したままだったが、総労働時間は増えた」。この21年間、最富裕層の世帯でも全体として労働時間が増えているが、その以外の所得層ではその増え方がひどく急激だった。それでも所得は増えなかった。ノースによれば、「ひとり当たりの所得がなぜこのように減少したかについて、エコノミストの間で定説となっている説明はまだない。次に示した図表は、最近の経済史のなかでもめったにないほど気落ちさせられるものである」(表7.1および図7.3参照)。
 ここでその説明を試みることにしよう。ベビーブーマーの一般通念はその親の世代のものとは少し違っていた。個人個人が論理的に考えるのではなく、群衆的な感情に染まりながら、彼らは少しずつ『ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)』の教義――「われわれは神のようなものだから、うまくできるようになってもいいはずだ」――を取り入れていった。神になったベビーブーマーたちは、自分たちに似せて経済を創り上げた。健全な経済には、忍耐や、倹約や、貯蓄や、辛抱や、規律が必要である。だが、それはまさにベビーブーマーに欠けているものだった。やがて、経済はベビーブーム世代の性格を反映するようになって行った。つまり、自信過剰で、近視眼的で、その場の満足を求め、向こう見ずで、勝手気ままになって行ったのだ、

 最近の堕落した資本主義

 これらの特徴を最もよく示しているのは――しかも、そのことで最も大きな被害を与えるのは――アメリカの会社の経営陣だった。アメリカの会社は、将来の利益のために新しい工場や設備に投資することもせず、経費を大はばに削り、いろいろなかたちで金融操作や会計粉飾を行った。そして、実質の伴わない貸借対照表を作って、利益の先取りを図ろうとした。また、自信過剰の若い世代のアメリカ人と同じように、どっぷりと借金につかり、それを元手に、たいていは法外な値段で自社株を買って、経常利益が伸びていると見せかけようとした。
 FRBが導入したまがい物の信用によって、消費が刺激され、間違った投資が行われて、将来の成長を生み出すはずの実質貯蓄が食いつぶされた。そのうえに、収益や貯蓄率やキャピタルゲインの悪化が重なって、成長や発展に必要な原資はブームの間に減少し、1999年にはブームの開始時点よりも少なくなっていたようである。
 エコノミストのカート・リッケバッカーによれば、だれも注意を払おうとしなかったが、(この消費狂いによって)当然、GDPに占める消費の割合が持続的に急激に上昇するという事態が生じた14。70年代後期のアメリカ経済で、GDP中の消費の比率は62%だった。80年代末にはそれが4%増えて66%になり、90年代末にはさらに4%増えた。また、2001年末には、現行のGDP成長率に対する消費の寄与分は90%を超えていた(図7.4参照)。
 消費の拡大はまた別の困った結果をもたらすことになった。ベビーブーマーの親の時代には貯蓄率も資本投資も付加価値も(相対的にみて)高かったが、ベビーブーマーの時代には貯蓄率も資本投資も減少して消費者経済となり、そのことで経済全体の構造が変化した。それは、ベビーブーム世代にとって、長期的に必要なものを与えるのではなく、欲しいものを短期的に与える経済となった。長期的な投資よりも刹那的な消費が好まれた結果、もはやその経済体制では、一般的アメリカ人の退職をまかなえるような収益や利益が生み出せなくなってしまった。たしかにブームのおかげで株式ポートフォリオは値上がりしたが、7900万人もいるベビーブーマーは計算上だけのキャピタルゲインでは退職できなかった。株を売ろうとしたとたんに、そのゲインが消えてしまうからだ。
 退職するには収入や利益や所得が必要だった。そしてそのためには、高レベルの貯蓄と資本投資を行う経済が必要だった。
 なぜ会社の収益が悪化したのか。なぜ個人所得が伸びなかったのか。そして、なぜアメリカ人はただ生活水準を維持するためにだけ、長時間働かざるを得なくなってきたのか。その答は、無から有を生み出すことはできないということにある。
 貯蓄がなければ実質的な資本投資はあり得ない。投資の元がないからだ。貯蓄なしでは、ただ信用でまかなわれる仮想的な投資だけになってしまう。利益を生み出す新しい機械や新しい工場・設備に対する実質的な資本投資がなければ、人々は高付加価値の新しい仕事につくことができず、賃金が上がることもない。なぜなら、会社は大量の良質な財貨やサービスを本当に作り出すことができないからだ。今、人々は前よりも長時間働き、借金をすることを余儀なくされているが、その一方で、投資した株や不動産の価格は上昇している。それを見て、人々は家計が良くなっているとの錯覚に陥る。いったん裕福になっていると思い込んでしまうと、それに力を得て、借金を重ね、消費を増やす。そこからさらに、維持できないような消費レベルにまで進み、経済全体が歪んでしまう。そして、最後に消費者がいざ退職する段になって、十分なお金のないことに気づかされることになるのだ。
 いったいどうしたらいいのか。また働けばいいのだ。
 「全員、働く準備をしよう!」と2002年7月20日付けのタイム誌の記事は呼びかけた。「年金給付の減額、伸びる寿命、株価の大崩壊――これらは全部ひとつの結論につながって行く。私たちの大半が70代に入ってもずっと働き続けなくてはならないのだ」。少なくともアメリカ人はそれに慣れている。1982年からこのかた、次第に働く時間を増やしてきたのだ。そして今や、死ぬまで働き続けるはめになろうとしている。

 株に熱狂

 ずっと強気相場のなかで育ったせいで、ベビーブーマーは二度考えることが必要な場面に出会う経験がなかった。その世代の投資家全員が、セックスのように気持ちよく、重力のように不変の真理を発見したと信じ込んだ。祖先たちが見逃していたことを自分たちが見つけ出したのだ。それは、株はいつも値上がりするということだった。この新しい考えは天からのひそかな贈り物のようなものだった。
 ジェームス・K・グラスマンが1998年に出した本『ダウ 36,000(Dow 36,000)』によれば、2世紀の間株価は間違っていた。株式を買う者はこれまで常に「リスク・プレミアム」を要求してきた。国債への投資よりもリスクが大きいという理由で、それより高率のリターンを求めてきたのである。ところが、グラスマンは衝撃的な事実を明らかにした。実際には、株式のリスクが大きいということはなく、リスク・プレミアムの必要はなかったというのだ。そして、リスク・プレミアムを取り除き、数字をちょこっといじってみたら、株価はもっと高値を付けていいという結論になった。3万6000ドルもあり得るらしいのだ。たしかにそうかもしれない。
 困ったことに、2001年の投資家の多くは1982年から2000年の大強気相場しか知らず、もともと強気一点張りだった。

 壮大な幻想

 しかし、2001年10月、投資家となったベビーブーマーの多くは、そうしたことにはまるで気づかないまま、インフレ調整のされていないダウのチャートを見ていた。それはまるで登山家が山を見つめるような眼差しだったに違いない。目を右手のほうに向けると、まさにそこに1982年から2000年にかけての大強気相場というエベレストがあった。行く手にある峡谷や渓流や川やくぼ地はとるに足りないもののように見えた。大事なことはその頂上にたどり着くことだった。そして、そのためにはただ歩き始めるだけでよかった。
 1990年代には、低金利と消費者志向の社会のおかげで、アメリカの強気相場はますますその度を強めていった。その後、歴史上繰り返されてきたブームと破綻のパターンに従って、繁栄の時期の最後にバブルが膨らんだ。1982年から1999年までの期間に、S&P500は配当も含めて年率19%のリターンをもたらした。その終わりの時期――1994年から1999年――は特に良い成績だった。S&P500は毎年平均20%の値上がりを示したのである。ベビーブーマーは熱狂した。
 しかし、それはただの夢だった。2000年春、リチャード・ラッセルは、バブルが終わり、長く、つらく、途方にくれるような弱気相場が始まったことを示そうとした。そのために彼は「天井の勢ぞろい」と呼んだ事実を並べたてた。「日々の新高値は1997年10月3日に天井を打った……騰落レシオは1998年4月3日に天井を打った……運輸株平均は1999年3月12日に天井を打った……NYSE金融株指数はその翌日に天井を付けた。公共株平均は1999年6月16日に天井を打った……NYSE総合指数はその1ヵ月後に天井を打った。ダウ自身は2000年1月14日に1万1722.98ドルという史上最高値を付けた。ナスダックの天井は3月10日の5048.62ポイントだった。そして、S&Pは3月24日の1527ポイントで天井を打った」
 バブルははじけた。どの市場も、どのセクターも、どの銘柄も、すべてが高値を付けたあと、先の見えない下落へと転じた。だが、投資家はまだ株は値上がりするものと信じて疑わなかった。テレビや本や雑誌やパーティーの会話やインターネットに勇気づけられて、株価が下がっても心配はいらないと思い込んだ。株式市場が値下がりと無縁だと考えたわけではなかったが、「長期的に見れば株は必ず値上がりする」と信じていたのだ。ジェレミー・シーゲルはその著『シーゲル博士の株式長期投資のすすめ』(日本短波放送刊)のなかで、この点について説得力のある議論を展開している。
 過去の例からみて株価の下落は何年も続くものだ、という事実を思い起こす者はほとんどいなかった。このことに関し、ミネソタ州セントポールのカート・レルンという人は、同じ投資家仲間に対して注意を促そうとした。バロン誌に投稿して、1954年のダウが、25年前のレベルを依然として27%も下回っていたことを指摘したのである。また、1982年のダウは1966年のレベルより22%も低かった。彼はさらにこう書いている。「来年ダウが8500ドルまで下落したら、現在の投資家の多くはたぶん、ひどいことになったと思うに違いない。だが、歴史が繰り返されて、2025年になってもダウがまだ8500ドル付近に低迷していたら、投資家の反応はそれどころではないだろう」
 実際、ダウは8500ドルまで下げた。正確にいえば、2001年9月26日に8567.39ドルを付けた。そして、その後も下げ続けて、翌年同日には7997.12ドルになった。だが、アメリカの新しい投資家はそれをひどいことだとは思わなかった。ところが、やはりひどかったのだ。18年にわたる強気相場での「成功」は、破滅へ至る道だった。株の長期保有がうまくいくと本気になって信じれば信じるほど、みんな確実に損をするはめになった。
 ベビーブーム世代の中心が初めて「株を買える」年齢段階に達したのは、良いことはなんでも起き得る、というより、必ず起こると思えるような時期だった。株のブームが頂点にあったころには、「株は長期保有せよ」「FRBに逆らうな」「市場に長期間とどまれ」といったことが当然とみなされた。臨時収入のうちの何割かは市場で運用する気になった。若いうちに退職することを思い描くこともできた。そのためには細かな計算など不要で、結果の総額さえ分かればよかった。普通株から複利で年率18%のリターンが得られるとした場合、47歳のときに401kプランに10万ドルの残高があれば、59歳のときには年金口座の残高は100万ドルになっているはずだった。
 計算上そんなにたくさんの財産持ちになれるとしたならば、現実にちょっとだけ支出するのを我慢する理由などどこにもなかった。
 しかし、ほんの数年後には計算がずっと厳しくなっていた。株式投資のリターンとして、年率18%や15%はおろか、12%でさえ期待できなくなっていた。ウォーレン・バフェットは今後5〜10年の間に株で6〜7%の利回りしか期待できそうにないと語った。資産運用会社PIMCOのビル・クロスはだいたい6%くらいのものだと言った。ジェレミー・グランサムがバロン誌に語ったところでは、5%が最も妥当な数字だった。そのうえ、アメリカの人口構成がこれからすぐに変化することを考慮するならば、これらの数字でさえ希望的観測と言うべきだった。

 悪い月が出た

 世界の終わりをもたらしかねない3つのちょっとした数字を挙げよう。

  1. 2001年1月1日におけるベビーブーマーの平均年齢――46歳
  2. 退職のための平均貯金残高――5万ドル
  3. 6%の利回りで、十分な年金収入が確保できるだけの金額に到達する年数――63年
おっと、もうひとつ大事な数字があった。

  1. アメリカの社会保障信託年金の残高――0ドル
 私たちは数字を細かく計算するのが良いことだとは思わない。また、数字をならしたり、ひねったり、膨らませたり、ねじり曲げたりして見かけを良くすることもしない。どんなに嫌な数字でもあるがままで受け入れる。
 上の数字で絵を描いたとしたら、絶対に傑作ができるはずがない。できるのは奇怪な未来派の絵であろう。あるいは、ゴヤが落ち込んだときに描いた絵か、アンドレ・セラノがのっているときに描いた絵のようになるだろう。情景は西洋世界のどこででもだいたい同じようなものだった。ますます大勢の人がますます老いているのだ。前にも述べたように、この流れの先頭にいるのが日本だった。日本は大半の西洋諸国より10年ほど早く老齢化が進んでいた。では、一国の国民全体が年老いたらいったい何が起こるのだろうか。その答を求めて私たちは日本に目を向ける。そこに見えるものは私たちの気持ちを暗くする。ところがこのとき、もっと恐ろしいことが頭に浮かんでくる。日本のたいていの世帯はそれほど株に深入りしていないし、貯金をやめたこともなかった。とすれば、これから12年ほどのアメリカの姿は、もっと忌まわしいものになるかもしれないのだ。 
 これから先、アメリカの巨大なベビーブーム世代が少しでも日本的になったら、いったい何が起きるのだろうか。もし貯金がたまるまで49年以上も待てないと考えたらどうなる? もし消費を切り詰め、借金を返し、貯蓄を増やそうと決心したらどうなる? 
 もし製品が売れなくなったら会社の利益はどうなる? もし世界の消費の頼みの綱であるアメリカが消費をやめたら、消費者物価はどうなる? また、もし株価が、みんなの期待どおりに数カ月以内に底を打って、年5〜7%ほどの利回りを上げられるぐらいにゆっくりと回復し始めなかったら? もしニューヨーク・ダウが遠く離れた東京の兄弟にならって、2012年に2700ドルを付けたら? ひとことで言えば、、もし老齢化するベビーブーマーたちが年相応に振舞うようになったら、世界経済に何が起きるのか?
 コールズ財団の研究報告を見ると、かなりはっきりとした答がそこに示されている。人口学的な根拠だけからして、アメリカの株式はこの先18年は下降するだろうというのだ。この研究の意義は、あっと驚くような結論を出しているところにあるのではない。むしろ、その結論は予想どおりのものだ。どんな誤りも遅かれ早かれ正されるのがこの世の常である。ベビーブーマーとその株式投資も例外ではないのだ。
 その研究には、年齢とPERの間には強い相関のあることが示されている。序文にはこう書かれている。「われわれの得た結果は、人口構造の変化が原因で有価証券の価格が相当に変動するという見方を強く支持するようなものである。また、その変動は、ある意味で基本的な要因の変化の影響をほとんど受けないことも分かった」。年齢に応じて投資行動のパターンが決まっており、20年にわたる強気相場もそのせいで生じたのだし、この先見通せるかぎり下落が続くという予測もそのパターンから出てくる。「われわれは過去50年以上にわたるアメリカのPERの変動を近似するモデルを作ったが、それによれば、この先20年の間にPERがかなり低くなるとする見方を強く支持できそうである。これは最近のキャンベルとシラー(2001)の研究報告とも一致している」
 「所得は若いときには少なく、中年で最高になり、退職後はゼロかわずかになる」とその研究報告は述べているが、これはハリー・デントとヤグイ・ウェイの発見とも符合している。また、その研究によれば、長期的な市場トレンドを決める一番決定的な要因は人口である。というのも、投資行動は年齢に対応したパターンに大きく依存しているからである。つまり、20〜39歳までの若年層は消費志向であり、40〜59歳の中年層はたいてい株式投資を行い、退職者たち(60歳以上)はどちらかと言えば株を売るほうに傾く。別の言い方をすれば、「若いときには借金をし、中年では株と債券に投資し、退職後は中年期の投資成果に頼って生きようとする」。この研究はまた、この3つのライフステージにある人数の割合によって、市場から得られる成果が大きく左右されると主張している。
 では、1970年代以降、人口の要因はアメリカ株式市場での成果にどのような影響を与えたのか。70年代と80年代は高消費、高支出の時期だった。これは、ベビーブーマーがまだ若年層に属していたことから、当然予測できることだった。株価は80年代から1999年まで上昇したが、この時期にはベビーブーマーが中年になっていた。日本の場合と同じように、2000年には予想どおり株式市場がピークを迎えたが、この年には若年層に対する中年層の比率がピークに達していた。ということは、今後は、退職年齢に入るベビーブーマーによる株の売りが、中年を迎える若い世代の買いを上回り続けることになるはずである。その研究の予測では、一時的な反発はあっても、市場全体の方向としては2018年ころまで下落傾向が続くだろうという。
 投資ブームを下支えしたうわさのひとつは、何百万人というベビーブーマーが退職に備えて、何十億ドルもの資金を401kなどの株式投資基金に注ぎ込んでいるということだった。こうした資金の大洪水によって、ハリー・デントが言うところの「史上最大のブーム」が起き、ダウは3万6000ドルにまで達するはずだった。たしかにデントの予測は高すぎたかもしれないが、史上最大のブームになったことは事実だった。
 だからこそ、このあと史上最大の破綻がやって来ることになるのだ。

 新しい計算結果が届く

 どんな指標で見てもダウの1万1722ドルは行き過ぎだった。ノーベル経済学賞受賞者のジェームス・トービンは市場価格の行き過ぎの度合いを測るために、「q」として知られる指標を考案した。  考え方は簡単だった。会社の価値はそれを取得するのに必要な価格に相当するというのだ。qレシオというのは、会社の株価を再取得価格で割った値であるが、これは本来1になるはずのものだった。スミザーズとライトがこのqの概念を全銘柄に当てはめて計算したところ、市場が1973年から1974年の弱気市場と同じように動くなら、ダウは4000ドルを割り込むということが分かった。また、1929年以後の破綻のパターンに従うとしたら、2000ドルを下回ることになるはずだった。
 2002年末ごろにはこの新しい計算結果がベビーブーム世代に届きつつあった。バフェットやいろいろな人々が指摘したことであるが、1792年から現在までの間に、アメリカの金融市場には少なくとも8回の大きな弱気相場があり、それぞれは平均して約14年間続いた。その8回とは、1802〜1829年、1835〜1842年、1847〜1859年、1872〜1877年、1881〜1896年、1902〜1921年、1929〜1942年、1966〜1982年であった。
 この8回の弱気相場の平均損失は、14年以上にわたって毎年6%ずつ損を出すのにほぼ等しい。もしも今のこの弱気相場がこうした前例のパターンに従うとすれば、あと12年間は価格の下落が止まらない。また、前の2世紀の幕開けとともに始まった2つの弱気相場――1802年と1902年の弱気相場――のパターンに従うとすれば、あと20年は終わらないことになる。
 この場合に、35歳の人が2000年の高値で株を買ったとしたら、55歳になってもまだ損を回復できないでいることになる。たしかに、まだ野球帽を前後ろにかぶるような年の投資家であれば、下降局面が終わるまで待つこともできるかもしれない。長期戦でやれば最後には相場に勝てる、と自分に言い聞かせることもできる。しかし、退職が迫っている投資家の場合には、自分の財政状態をみて泡を食うことになるであろう。普通だったら、稼ぎもリスクも大きい株はやめて、確実なリターンが望める債券や抵当貸付や賃料による運用に切り替えていなければならない年だからだ。
 人間は馬鹿ではないし、いつまでもベビーブーマーの意識のままでいるわけではない。将来のためにお金を蓄える必要のあることはわきまえている。だから、株の値上がり益がなくなったら、なんとかそれを補おうとする。もちろん、しばらくの間は、市場が元に戻って値上り利益も回復するはずだと自分に言い聞かせることもできる。そして、ひょっとすれば――しばらくは――市場も協力してくれるかもしれない。だが、計算というのは冷酷なものなのだ。

 社会保障が危うい

 世界で最初の公的退職年金制度を作ったのは、1880年のドイツにおけるオットー・フォン・ビスマルクだった。50年後のアメリカで、大恐慌のさなかフランクリン・ルーズベルトがその先例にならった。前に述べたように、当時は、これから65歳の退職年齢をむかえる人が多すぎて、将来資金不足をきたすようなおそれがあるとは考えられなかった。例えば1935年におけるアメリカ人男性の寿命は76.9年だった。この年金プランで退職者が毎月受け取る額はたいしたことがなかったし、制度の資金がなくなるほど長生きすることはありそうになかった。
 社会保障制度ができたとき、65歳のアメリカ人の平均余命は11.9年だった。しかし、現在の公的プロジェクトが正しければ、2040年には65歳の平均余命は少なくとも19.2年になりそうである。もし平均的な退職年齢が、1935年を基準として、寿命と連動して変化すると仮定したならば、現在働いている人が完全な年金支給を受けられるのは73歳からということになるし、今後はそれがもっと遅くなると見込まれる。
 「人口学と資本市場のリターン」と題された論文のなかで、ロバート・アーノットとアン・キャッセルズは、危機に瀕しているのは社会保障制度そのものではなく、人口の状況なのだと主張した。彼らによれば、「社会全体の老齢化が進むとき、一番大事なことは、労働者数と退職者数の比がどうなっているかという点である。不幸なことに、全人口のなかで突出して大きな割合を占めるベビーブーム世代が老齢化すると、労働者数に対する退職者数の比率が劇的に高くなり、社会に大きな重圧がかかり、世代間のあつれきを生み出しかねない」
 ほかの先進国と同じように、アメリカでも公的年金のための無基金給付引当金はGDPの100〜250%に達している。それは「隠れた債務」であり、しかも、公式の公的債務よりはるかに額が大きい。民間企業の場合と違って、この債務は費用として30〜40年で償却するというわけにはいかない19。また、強調しておきたいのは、通常の状態ではそんな壊滅的な赤字を出すことはあり得ないということである。あくまで非常事態のときだけ許されることなのだ。
 今の政策が変わらないままだとすれば、2030年までに社会保障費はGDP比で、現在の4.2%から6.6%にまで増加する。これは給与税率を57%引き上げることで得られる額と等しい。もしこのGDPの2.4%分を2001年から支払うとすれば、毎年2350億ドルが必要になるが、これを連邦所得税でまかなうとすれば税率を25%引き上げなくてはならなくなる。

 年金プランの毒

 弱り目にたたり目といった具合で、2000年に株式市場が値下がりに転じて以来、民間の年金給付のほうもだんだん雲行きが怪しくなってきた。個人投資家と同じように、先も見えないのに自信たっぷりに株式投資をしたせいで、会社の年金プランが厄介なことになっている。例えばアポジー・リサーチ社のエリック・フライの指摘によれば、トラクター製造会社のディア・アンド・カンパニーは、年金プランと退職者の厚生プランで、2001年10月31日期に6億5700万ドルの投資利益が上げられると見込んでいた。ところが、実際の結果は14億ドルの損失だった。見込みとの差額は20億ドル以上であり、同社の基金不足の年金負債は30億ドルを超えてしまった。
 同様に、2002年にゼネラルモータースは、年金プランの資産が10%減少したと報告したが、このことは、2003年における同社の税引き後の年金費用が約10億ドル、つまり1株当たり1.80ドル分増える可能性のあることを意味する。スタンダード&プアー社はただちにGMの信用格付けを引き下げた。というのも、「年金資金の運用成績が悪化すれば、すでに膨大になっているGMの無基金年金負債がさらに大きく増えることになるからだった」
 1990年代の強気相場のときには、膨大な投資利回りが得られ、会社はあふれんばかりの余剰収益を手にした。アメリカの創意に満ちたCFO(最高財務責任者)たちは、うまくこの余剰分を損益計算書に盛り込んで、報告書の収益の数字の化粧直しに役立てた。その数字のなかには、年金基金の、市場への投資による利回りが含まれていたのだ。
 しかし、株は上がるときもあれば下がるときもある。ここ数年は弱気相場が続き、これまでのような年金基金の投資成績には急ブレーキがかかった。以前は潤沢な剰余金を持っていた、会社の年金プランも、今は大半がひどい資金不足に陥っていた。CSFB社の会計アナリスト、デビッド・ザイオンによれば、2001年末には、S&P500種指数を構成する会社で確定給付型年金を持つ360社のうち、240社が年金の資金不足に苦しんでいた。
 弱気相場のときには、会社はもはや、年金プランが得た株式投資の利得の一部を会社自体の利益として計上することができない。それどころか、多くの会社では、手持ちの現金を使って、何より先に年金の赤字の穴埋めをせざるを得ず、事業を拡大したり、債務を返済したり、自社株を買ったりするなど、投資家の利益になるような使い方は後回しにされてしまう。ここでもまた、資本主義の会社のはずなのに、株主の利益はおろそかにして、退職した従業員の利益をはかっているのである。
 2002年には、S&P500種の会社が抱える年金基金の赤字は総額で3000億ドルを超えていた。長期的には、会社のキャッシュフローからそれを補填せざるを得ず、利益や配当や株価がそのとばっちりを食うことになるわけである。

 ヘルスケアの拡大

 退職をむかえるベビーブーマーにはさまざまの不信や不安の種があるが、ここでまたひとつ付け加えるならば、アメリカのヘルスケアの費用は、これから40年間、GDPの7%相当分ほど増加する見通しである。この増加のスピードはほかの先進国に比べると2倍の速さである。「老齢者中の老齢者」――80歳以上の人――の数は2050年までの間に急激に増える見込みであり、それにともなって、障害ケアや、介護や、ヘルスケアだけでなく、長期的ケアの費用が劇的に増加することになろう。
 実際、2030年にはアメリカ政府は、老人ホームのために、今の社会保障費を上回る公共事業費を支出することになりそうである。ヘルスケア産業を研究しているエコノミスト、ビクター・フックスによれば、「たしかに社会保障について心配するのももっともなことであるが、老齢者のヘルスケアへの出費は、400キロ近いものすごいゴリラがアメリカ経済に立ち向かってくるようなものである」21。社会保障に加えて、医療保険や医療扶助にかかわる事業も増えるとなると、全体の費用が給与税収の50%を超えることにもつながりかねない22。健康管理に関する費用が膨らみ、もっと長期的なケア体制に対する政治的要求が強まってくると、公的支出がいっきに増加して財政的危機を招くことにもなりかねない。

 さらなる貧困

 人は、個人としても集団としても、年をとることを選んだわけではない。自然にそうなるのだ。私たちの知るかぎり、個人の場合も、経済全体の場合も、自然に起きる衰退をくい止めるには、不自然なほど悪い状態にまでもっていくしか手がない。中央銀行は通貨をめちゃくちゃにすることによってデフレを回避することができるし、借り手は借金をさらに増やすことで破綻を遅らせることができる。それと同じように、人は自分自身を破滅させることによって、いつでも老齢化を止めることができる。
 長い目で見れば、社会保障制度もまた必ず破綻する。なぜなら、それは、無から有を得ることができるという嘘の上に築かれているからだ。その嘘は、自分が注ぎ込んだ以上のものをその制度によって受け取ることができるというまやかしといってもよい。たしかに、一部にはその恩恵にあずかれる人がいるかもしれない。しかし、全体となると、それは不可能なのだ。というのも、それを実現するためには、退職者の年金を払ってくれる労働者が、退職者以上に大勢いなくてはならないからだ。実のところ、そうした願いが、ベビーブーマー全体のもつ幻想の核心をなしていた。彼らは、次の世代が社会保障制度を通して自分たちを養ってくれるものと思っていたし、家や株を自分より若い連中に売れるものと思い込んでいた。しかし、若い世代もいずれは力が尽きる。彼らはベビーブーマーの願いをかなえるには、数が少なく、富も十分ではないのだ。
 ほかのさまざまのことと同様、この点についても、アメリカ人は、日本人にはない強みが自分たちにあると思っている。日本と違って、アメリカはまだ移民の入国と労働の権利を認めているので、移民の精力的な働きによって、老齢化する受け入れ側の国民を養ってくれるというのだ。
 多くの人が信じているように、移民がピンチを救ってくれる可能性はある。だが、アーノットとキャッセルズが示しているように、社会保障制度を維持するためには、毎年400万人の移民を受け入れること、言い換えれば、アメリカの人口が毎年1.5%ずつ増加することが必要である。これは現在の移民数の倍にあたる数字であり、現実性のない話である。
 ベビーブーム世代の最年長者は今56歳である。そのあとを8000万人の集団が従っているわけだが、彼らのほとんどが退職にともなう問題をあまり真剣に考えていない。この世代の80%は8カ月分の生活費以下の蓄えしか持っていない。「50歳以上の年齢層は退職の準備ができていない」と全米退職者協会(AARP)の報告は述べている。そして、こうした準備不足の人たちの数は、その足がむくんで膨らむのよりも速いスピードで膨れ上がっている。2000年には、約7600万人――国民の28%――が50歳を超えていた。2020年には、その数がさらに4000万人増えて、全人口の36%を占めることになるであろう。
 退職をひかえたベビーブーマーたちは、かつてセックスやドラッグやロックンロールに目覚めたのと同じように、もうすぐ貯蓄に目覚めるのではないだろうか。もしかすると、貯蓄が好きになりさえするかもしれないし、それを発明したのは自分たちだと思い込むかもしれない。そのうえ、(ほかのすべてのことと同様に)きっと貯蓄もやりすぎることになるであろう。
 ほんのわずかな倹約を行っただけでも、経済全体に劇的な影響が及ぶと考えられる。貯蓄率の1%の変動はだいたいGDPの0.6%に相当する。ジョン・メイキンはアメリカン・エンタープライズ研究所に寄せた論文のなかで、ベビーブーマーが、90年代における消費の平均実質比率のたった3分の1――つまり5%――を貯蓄に向けた場合、消費が1年当たり3500億ドル減少することになると述べている。これはGDPの3.5%が失われることに等しく、これから先何年も、確実に景気後退が続く結果となる。リッケバッカー博士も計算を行った。その結果によれば、もし貯蓄率が戦後の平均値の半分にまで回復するなら、第二次大戦後最大で最長の景気不振を招くおそれがあるそうだ(7.5図参照)。

■参考文献(邦訳されている本書の参考文献)

  1. ピーター・バーンスタイン著『ゴールド 金と人間の文明史』(日本経済新聞社)
  2. エドワード・チャンセラー著『バブルの歴史――チューリップ恐慌からインターネット投機へ』(日経BP社)
  3. フランシス・フクヤマ著『歴史の終わり』(三笠書房)
  4. ジョージ・ギルダー著『未来の覇者――マイクロコズムの世紀』(NTT出版)
  5. ジョージ・ギルダー著『テレコズム――ブロードバンド革命のビジョン』(ソフトバンクパブリッシング)
  6. サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』(集英社)
  7. アレックス・カー著『犬と鬼――知られざる日本の肖像』(講談社刊)
  8. チャールズ・P・キンドルバーガー著『金融恐慌は再来するか――くり返す崩壊の歴史』(日本経済新聞社)
  9. ギュスターヴ・ル・ボン著『群衆心理』(講談社学術文庫)
  10. ロジャー・ローウェンスタイン著『天才たちの誤算――ドキュメントLTCM破綻』(日本経済新聞社)
  11. チャールズ・マッケイ著『狂気とバブル』(パンローリングより近刊予定)
  12. バートン・マルキール著『ウォール街のランダム・ウォーカー――株式投資の不滅の真理』(日本経済新聞社)
  13. ジョゼフ・シュムペーター『経済分析の歴史』(岩波書店)
  14. ロバート・J・シラー著『投機バブル 根拠なき熱狂――アメリカ株式市場、暴落の必然』(ダイヤモンド社)
  15. ジェレミー・シーゲル著『シーゲル博士の株式長期投資のすすめ』(日本短波放送)
  16. アダム・スミス著『国富論』(岩波文庫)
  17. アダム・スミス著『道徳感情論』(岩波文庫)
  18. エマニュエル・トッド著『帝国以後――アメリカ・システムの崩壊』(藤原書店)
  19. ラース・トゥヴェーデ著『信用恐慌の謎――資本主義経済の落とし穴』(ダイヤモンド社)
  20. エズラ・F・ヴォーゲル著『ジャパンアズナンバーワン――アメリカへの教訓』(TBSブリタニカ)
  21. ポール・ウォーレス著『人口ピラミッドがひっくり返るとき――高齢化社会の経済新ルール』(草思社)
  22. クリストファー・ウッド著『バブル・エコノミー――日本経済・衰退か再生か』(共同通信)
  23. ボブ・ウッドワード著『グリーンスパン アメリカ経済ブームとFRB議長』(日本経済新聞社)

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