訳者まえがき

 多くの人はいまだに、デイ・トレードは海の向こうの話だと考えているようだ。しかも英語の苦手な自分には無縁のものであり、何よりも日本から米国の市場に直接アクセスして米国株を取引することなど不可能だ、と思っているようでもある。だが、これはまったく間違っている。最新のテクノロジーは言葉の壁を取り払って、これらのすべてを可能にした。
 デイ・トレード、特にダイレクトアクセストレーディングは実力の世界だ。継続的な教育と訓練をとおして自分の手法を確立出来た者だけに、報酬が与えられる世界である。全米から集まった2300人のデイトレーダーの大会で3回の優勝を果たしたトニー・オズは、まさにそれを世界に証明してみせた。
 そして今回の公開トレードでは、偶然にもナスダックがまさに暴落と言っても過言でない史上最大の下げを記録した4週間で行われたにもかかわらず、52%という驚異的なリターンをあげてしまった。相場の上げ下げに影響されない彼のシンプルな手法を、本書でじっくりと時間をかけて習得していただきたい。
 本書ではできるだけ株の専門用語は使わずに分かりやすく訳したつもりだ。だが、もし読者の中に、まだダイレクトアクセストレーディングの基礎知識がそれほどなく、本書の内容で理解できない個所がある方は遠慮なく私に
メールをいただきたい。時間の許す限りお答えするつもりである。

序文

 まだ半分寝ている状態で3杯目のコーヒーをすすりながら、私は4台のモニターの前に3時30分から座っている。カリフォルニアのトレードは早朝から始まるのだ。
 ここまで来るのに1時間もかかった。だが、それだけの価値は十分にある。何しろ、素晴らしいトレーダーが「自分が取引する姿を見せよう」と言ってくれたのだから(このとき、これがどれだけ特別な体験になるかは知る由もなかった)。
 瞬く間に殿堂入りした『
Stock Trading Wizard』の補足本として、2冊目の本では「自分がどのようにトレードで生活しているかを世界に見せたかった」とトニー・オズは言っていた。そして、この2冊目を書く"きっかけ"になったのがティム・バークィン(国際オンライントレーディング・エキスポの創設者)とジム・シュガーマンからの"挑戦状"だった。この挑戦に立ち向かうために、そして、「どのようにトレードで生活しているかを見せたい」という思いを現実のものにするために、トニーは「自身が行ったすべてのトレード」を詳細なトレード日誌として記録した。トレーダーを目指す"すべての人々"の役に立つことを願って、彼は自分のトレードの背後にある「戦術や過程」を詳細にわたって解説した。これは師匠が弟子に「長年の知識と経験を受け渡す」ときと似ている。古典的ではあるが、何世紀も続けられてきた"心がある"伝授方法だ。

 本書に記載されている各トレードの記録には、「トニーの思い」や「戦術」「予期せぬ出来事や問題」など、マーケットで起こる一瞬一瞬の困難を、彼がどのように乗り越えたかが示されている。
 このような本は過去に例を見ない。これほどまでに正直に、自らの評判を賭けに出したトレーダーは今まで皆無だったからだ。過去の最も良かった取引を紹介することは簡単だ。しかし、「良いことも、悪いことも、勝ちも、負けも、すべての動きを"トレードの利益と損失"とともに明かします」と、包み隠さず言うことのできたトレーダーはいなかった。トニーは偉大だ。
 本書で紹介されているのは、チャートやイラスト、公式を含めた116トレードの記述である。トニーは調査と準備、喜びと苦労、爽快な勝利と、がっかりするような負けをすべて解説している。そしてもちろん、感情や判断、マーケットメーカーや最新テクノロジーとの闘いにも言及している。
 偶然にも、この本の内容が記録された時期と、2000年4月に起きたマーケット大暴落の時期が重なってしまった。すべての破壊と殺戮が治まり、たった14日間で200億ドルもの資金が泡と消えたマーケットにおいても、ダイレクトアクセスの神は不屈で無傷の姿を(そう、瓦礫の下から誇らしげに)利益とともに現した。
 自分たちの経験や見識にかかわらず、優れたトレーダーの行動や戦術、感情を学ぶ機会を得ることは、だれにとっても有益なことだろう。その意味で、この本はまさに宝であり殿堂入りになるに違いない。この本を読めば、いつの日か、トニーのように"あなた"もトレードで生活できる人間になれるだろう。

                       リック・ラポイント

著者まえがき

 「オンライン・トレーディング」は、世界中に脅威の速さで普及している。今、最も注目を浴び、成長しているビジネスだ。事実、ヘアサロンやファストフード店、食料品店など、以前では考えられなかった場所でも、「オンライン・トレーディング」の話題が上がっている。それも、ごく普通に。
 インターネットの爆発的な成長と経済市場における変化に伴い、世界中の関心を集めている「オンライン・トレーディング」。この時代に限った一過性のものではなく、今後、さらに根付いていくものであろう。
 しかし、どんな形にせよ、今ある「オンライン・トレーディング」が、初期段階のものであることは否めない。常に成長し変化し続けるこのビジネスにとって、現時点での知識や実践方法を紹介している内容は、「5年もすれば過去のものになっている」可能性さえある。
 たとえば、諸外国に点在する地方会社の株やオプションや先物を、世界中のトレーダーが自由に取引できる世界市場が誕生したら、どうなるだろうか。もちろん、夢物語に聞こえる人がいてもおかしくはない(何より、現在の体制を保とうとしているニューヨークのフロア・トレーダーが、この夢物語の実現を何としてでも防ごうとするだろう)。だが、近いうちに現実のものとなる可能性は大いにある。今、めざましい進歩を遂げている技術革命に、だれも逆らうことはできない。
 この技術革命は、「ウォール街に挑戦し、このビジネスに参加したい」と考えるすべての人々に通行証を与えた。この挑戦に参加し、終わることのない向上心を保ち、そして、生き残ることができれば、あなたもこの数少ない刺激的なビジネスを楽しむことができるはずだ。そして、この新しい「職業」を本当に楽しむことができれば……。ビジネスとして成立させ、最高の楽しみを味わうこともできるだろう(「職業」という言葉を使ったのは、「株の取引が労働である」ことを理解してもらうためである)。
 さて、話を進める前に、私自身の背景を少し紹介しておく。「私」の話をすることによって、私が話す内容や情報が「どこ」から来ているかを知ってほしいからだ。私が話す内容や情報を信頼してほしいからである。
 私は幼少期に、おじさんたちが株市場で取引しているのを見ていた。その場面に強い好奇心を抱いた私は、「市場について学べること」なら何でも吸収したかった。
 「将来、何をしたいか」と聞かれれば、私は「ストック・ブローカーになりたい」と、当然のように答えていた。今思うと、ませた子供である。当時は、「ストック・ブローカー」が世界中で一流の職業だと思い込んでいたのだから無理もない。なぜなら、「ストック・ブローカー」が株式市場に一番近い人間だと思っていたからだ。そのころは、「ストック・ブローカー」がセールスマンだとは知らなかったし、現在のようなテクノロジーによって、ブローカーを飛び越えてトレードできるようになるとは、考えもしなかった。
 少し早送りして、高校1年の話をしよう。このとき、私は、2つのものに情熱を注いでいた。「スポーツ」と「株」である。もし機会があるのなら、私の同級生に私の休み時間の過ごし方を聞いてみるといい。口をそろえてサッカーをしているか、新聞の経済欄を見ていたと言うに違いない。実際、私はビジネスの世界で起きていることにいつも関心を抱きつつ、ペーパー・トレーディング(正確な言い方をするとペーパー・インベスティング)で、いくつかの銘柄をトレードしていた。
 2年生のある日、気分が悪くて学校を休むことにした。しかし、病気で休む日が重なり、ある日、学校から「医者の診断書をもらう」ように告げられた。私は病院に行き診断書をもらった。
 家に帰る途中、宝くじのスタンドの前を横切った。そのとき、「次の宝くじの賞金は凄い」という看板が私の目に入った。興味本位でその売店に近づくと、兵士が宝くじを買っていた。その宝くじは銀の部分をコインで削ると、すぐ、結果が分かるものだった。
 兵士はその宝くじで3ドルを当てた。売店の人はその兵士に「今、3ドルが欲しい」か、それとも「宝くじをあと3枚欲しいか」を聞いていた。兵士は私のほうを向き「君なら、どうしたらいいと思う」と聞いてきた。「おカネを取るべきだ」と私が言うと、その兵士は私の言う通りにお金をもらって帰って行った。
 私が兵士のやりとりしている間、売店の横に、ある年老いたおじさんが立っていた。彼は私を見ると、「あいつの運に乗ったらどうだ」と言った。「こういう宝くじは絶対当たらないよ」と私が返事したにもかかわらず、おじさんは「あいつの運に乗ったらどうだ」と繰り返し言ってきた。
 おじさんの迫力に負けたのかどうかは分からない。だが、気がつくと私はポケットのおカネを出し、おじさんの勧めた宝くじを買っていた。
 私は、銀の部分を削った。すると、なんとジャックポットを当ててしまったのだ。正確に言うと1万50000ドルだった。
 あまりにも興奮し過ぎていた。あまりにも速く走って家に帰った(私は400メートル走の世界記録を更新していたと思う)ため、医者からもらった診断書を落としてしまったほどだ。この出来事を、すぐ、親に言ったが、簡単には信じてはもらえなかった。7000ドルのプレゼントを渡すと、もはや親も否定はできなかった。
 しかし、最も素晴らしい事実は、これで投資するおカネができたことだった。やっとリスク・キャピタルを手に入れることができたのだ。
 「ウォール街よ待っていろ! 今行くぞ!」
 この後、すべてがうまくいったと言いたいが、そう簡単にはいかなかった。私は投資家としてはうまくやっていたと思う。だが、正直なところ、何とか生き残っているという感じであった。
 宝くじ事件の後は、普通の高校生として人生を歩み、日ごとに自分の中の優先順位も変化していった。しかし、相変わらず私は投資を続けていた。どうしても株の取引で生活をするプロのトレーダーになりたかったからだ。唯一口座からおカネを引き出したのは最初の車を買うときだった(その結果、私は1987年の暴落を免れることができた)。
 私がプロ・トレーダーになる過程の中で、もうひとつの大きな運命的な出来事があった。それは私の未来の妻と出会いである。
ウィリアム・オニールの『インベスター・ビジネス・デイリー』や『ザ・デイリー・グラフ』をはじめ、その他の出版物が編集・印刷される場所の近く(5分ほど)に、彼女は住んでいた。私は「彼女のところに行く途中で、その編集室を訪れる」ことを日課にしていた。そのおかげで、プロから専門的なテクニカル分析を学ぶことができた。また、翌日の新聞を今日の夜7時までにもらえることができたのもうれしい出来事だった。一晩中、新聞を参考書に勉強することができたからだ。以来、私は、「株の取引について学べるものについて」はすべてを学ぶように専念してきた。毎日、書ききれないほどの新しいことを学んだ。「私は成功する」と心から信じながら。
 私には基礎的な知識はあったが、肝心の経験が不足していた。テープを読んでチャンスは見つけることはできるのだが、実際のおカネが動くと、ほかの頭のいいトレーダーにチャンスをとられてしまった。
 しかし私は、これらのトレードの過程、結果を詳細に記録するのを忘れなかった。これが功を奏した。記録することによって、いい結果を残せない原因を分析することができたからだ。分析してみると、何度も同じ間違いをしていたことに気づかされた。このとき、「間違いを早く正さなければ、将来、ストック・トレーダーとして成功するのは難しい」と痛感した。このような経験を経て、「詳細なトレードの記録が最大の教科書」になることを知った。そして、私は毎回、"トレード記録"から新しいことを学びび、多くの時間を"分析"に費やしていった。
 この本での私の目標は、読者の方々に、私の「側に座って」、私のトレードを見てもらうことにある。なかには「教科書」にできるほどの理想的なトレードもあれば、すべてがうまくいってないようなトレードもある。しかし、それが現実のトレードである。私の経験から新しい見識を得ることができればと思う。
 これは私の「トレード日誌」であり、私の日々の詳細なトレード活動を知ることで、私が学んだことを同じように学んでいただきたいと思う。これ

第一章

■「出会い」という刺激

 私が「デイトレード」というビジネスを始めたころ、デイトレードでの株取引に関心を抱く人は、ほとんど見られなかった。ほかの業界であれば当然あるはずの"人との触れ合い"が存在しない孤独な世界が、「デイトレード」というビジネスの舞台となっていたのだ。
 1998年3月、孤独な世界の住人であった私に転機が訪れた。「デイトレーダーズ・オブ・オレンジ・カウンティー」と呼ばれる組織を知ったからだ。この組織はティム・バークィン氏が設立したもので、"株取引に関する情報・戦術をメンバー同士で交換しながら、みんながより良いトレーダーになる"ことを目的としていた。今まで"孤独"であった私にとって、「私と同じ"言葉"を話し、私と同じようにマーケットに対する"情熱"を抱いている人がいる」事実がどれほど魅力的であったかは言うまでもない。私は、早速、この会に参加したのである。
 最初、私を含め7人しかいなかった会も、オンライン・トレーディングへの関心の高まりとともに飛躍的に成長していった。それに伴い、2週間に一度の土曜日の集まりにも、毎回、新顔が登場するようになった。最終的には、多くのメンバーを収容できる場所が必要になるほどまで発展を遂げたのである。
 われわれの組織が急速に成長した背景には、もちろん、設立者であるティム・バークィン氏の手腕も関係している。彼がカウンティー運営に尽力してくれた結果、1年後、私は「成功するトレードの秘訣」と題した講演を400人のメンバーの前で行うまでになっていたのだから。
 現在、このグループはデイトレーダーズU.S.Aと呼ばれ、世界中の人が登録している。今やデイトレードに国境はないのだ。
 組織の成長とともに新顔が増えると、必然的に、初期のメンバーは新メンバーへの指導を行うことになった。私もその指導メンバーのひとりとして、初心者にデイトレードのノウハウを教えた。この「デイトレードについて語る」時間は、私にとって、実に有意義で楽しいものであった。初心者のメンバーたちを指導するなかで、私も多くのものを彼らから学び取ることができたからだ。
 私は「デイトレーダーズ・オブ・オレンジ・カウンティー」を通して、多くの素晴らしい人々に出会うことができた。この"仲間"との素晴らしい出会いが、その後の私の礎となっていると言っても過言ではない。

■『ストック・トレーダー』の誕生

 1998年の秋、ベテランメンバーのひとりであるスティーブ・メビウスから、「マーケット・テクニシャン・アソシエイト」主催の夕食会に誘われた。この夕食会では、
リンダ・ブラッドフォード・ラシュキによる特別講演が行われた。彼女の講演内容は、非常に分かりやすく的を射たものであり、特に「何でもシンプルにする」取引手法と、聴衆を引きつけてやまない彼女の熱意が印象的であった。「デイトレーダー」という職業を愛し、強い誇りを持っていることは、その雰囲気だけで読みとれた。そして、誇りと情熱が彼女の講演をダイナミックで刺激的なものにしていることも伺い知ることができた。
 私は彼女に感化された。彼女の講演は「トレーダー」という私の職業に、本当の意味での誇りを与えてくれた。実際、講演を聞き終えて家路につく"私"は、期待を胸に抱いている"私"であった。
 それは、家に着き、明日のトレードのための準備をしていたときのことだった。不思議なことに「デイトレーダーズ・オブ・オレンジ・カウンティー」のメンバーから何度も質問されたフレーズが思い浮かんできたのだ。
「デイトレードはどうやってやるの?」
 気がついたときには、もう、その疑問に答えるための本を書き始めていた。それが『ストック・ジャンキー 超短期売買応用編』だ。評価は非常にポジティブなもので、1999年の8月、私のパートナーたちの手であらためて編集された。そして2000年、『ストック・トレーディング・ウィザード』というタイトルで出版されたのである。
 この『ストック・トレーディング・ウィザード』誕生の背景に、あの夕食会での特別講演が関わっていたことは確かだ。「トレーダー」という職業への誇りが確固たるものになったことで、「デイトレードというものを世に広めたい」気持ちが養われたからである。

■成功率の高いトレードを伝授する、それは新しい挑戦

 私の本が出版されている間、ティム・バートン氏は組織設立当初に掲げていた「トレーダーズネットワークの構築」をさらに広げることに力を注いでいた。尽力のかいあってか、1999年9月、ジム・シュガーマン氏とともにカリフォルニア州オンタリオ市で、初の「国際オンライン・トレーディング・エキスポ」開催にこぎつけたのである。エキスポのテーマは教育で、大成功を収める結果となった。このエキスポのなかで、私が最も喜びを感じたのは、世界中から集まってきたデイトレーダーに「会い」「話し」「指導する機会」を与えてもらったことだった。世界中のデイトレーダーとのコミュニケーションを通して、「デイトレードが定着してきた」との実感を持てたことが何よりも嬉しかった。
 また、市場に情熱をもつトレーダーたちとの出会いのなかで、「私もそのひとりである」との誇りを再認識できたことも大きな収穫であった。
 2000年の2月18日?20日(3日間)、オンタリオ市でのエキスポの成功に続き、ティム氏とジム氏はニューヨークでもエキスポを開催した。私はゲストスピーカーとして呼ばれ、"成功率の高いトレード"について講習を行うことになった。私は、この講習を"普通の内容"から"特別な内容"に昇華するため、ある試みを実施することにした。「実際に行われたトレードのケーススタディーを通して、コンセプトから結果までの詳細を参加者にひとつひとつ解説していく」内容にしたのである。
 ニューヨークでのエキスポが始まる2週間前、私は地元の寿司屋でティム氏・ジム氏とともに昼食をとっていた。そこで話題として上がったのは、私の本『ストック・トレーディング・ウィザード』の成功と、エキスポにて開催予定の私の講習だった。私の講習に一番多く予約が入っていたことから、「実際に行われたトレードの詳細分析に対する関心が高い」とわれわれは判断していた。だが、具体的にどのような内容にすべきかは決めかねていた。
 すると、今まで真剣な表情で何か考え込んでいたティム氏が、ふいに笑顔で"ある考え"を口にしたのである。「トニー、君への挑戦がある。君の本『ストック・トレーディング・ウィザード』で紹介している戦略を実際にどう使っているか、世界中に見せてやったらどうだい。しかも生ライブで」と。
 この「一言」をきっかけに、私たち3人は次から次へと提案を出し合った。結論として、 私は今まで行われたことのない新しい試みをすることになったのだ。

 話し合いの結果、手順を次のように設定した。
 なお、実践に即した私の手法は、株取引をしようと考えている人にとって必ず役立つものだと思っていた。私は「講習の成功」に胸を膨らませながら「3月の末までに口座の準備をする」ことを決めた。

  1. 初心者と同様に全く最初から出発。良いブローカーを調査し、選択する。
  2. 5万ドルの口座を開き、本にあるマネーマメージメントとリスク管理に 関するルールを守り、すべてその通りに実施。あらかじめ決められた4 週間の中でトレードを行う。
  3. すべてのトレードを、勝敗は関係なく、コンセプトから結果までを発表する。

■取引本部の設置

 挑戦を始める前、何か問題が起きても大丈夫なように、バックアップ用のパソコンを1台用意することにした。21インチモニター、8メガグラフィックカード、RAM256メガ、カスタムペンティアム?搭載、そしてウィンドウズ98用のOSパソコンを新しく購入した。すでに持っていたパソコンはDSLでインターネットにつなげ、NT4で作業。新しいパソコンはケーブルモデムを通してインターネットにつなげた。新しいパソコンを中心にトレードしたかったので、既存のパソコンからプログラムなどを移し変えた。
 しかし、念には念を入れて設置したにもかかわらず、結局、精神的な安心感を得る以外では骨折り損となってしまった。DSLが落ちたり、通信が切れたり、パソコンがフリーズしたりなど、どこかで絶えず問題が生じていたからだ。
 私のような手の込んだトレード環境は、必ずしも必要ではないと思う。だが、不測の事態に対して備えすぎることは決してない。今、世界はコンピューターテクノロジーに頼っている。この周知の事実にもかかわらず、不測の事態は必ずといっていいほど起こっているからだ。実際、私にも、システムダウンによってトレードで損を出したり、ポジションを持ったまま何もできなかったなどの「痛い経験」がある。このとき、別のパソコンに切り替えることができずにいたら、さらに大きな損失を招いていただろう。
 すべての準備が整った頃、私はパソコン2台、モニター4台、プリンタ、そしてテレビの用意が整っていた。テレビはCNBCを流しておくのと同時に、ケーブルに異常がないかどうかをチェックするために使った。結局、「家具、照明、郵送物、そして数々のインストールと設定」などをすべて含めると、予定に一週間の遅れが出てしまった。

■ブローカーを選ぶ

 これは手順の中で最も大切な要素だろう。私は、過去の経験から、信頼できるブローカーに口座を開設することがどれだけ重要であるかを知っている。
 私のブローカー選択ガイドラインを紹介する前に、まずオンライン・ブローカーがどのように利益を得ているか説明するべきだと思う。広告で「手数料無料」や「成り行き注文の手数料無料」という宣伝文句を見かけたことがあるだろう。どうして、このようなことが可能なのだろうか。手数料が無料なのに、どうしてテレビの宣伝費を払うことができるのだろうか。それは行間を細かく読めば分かる。

  1. まず、手数料無料の口座では「カスタマーサービスが限定されている」事実がある。顧客との連絡はすべてインターネット(ほとんどは電子メール)を通して行われる。サービス用の電話番号や、実際に相談できる窓口などは提供しない。すべての取引とサービスはインターネットを通してのみ執行されるのだ。もし45ドルで買った株が急落しているときにインターネットへの接続が切れてしまったらどうなるだろうか。そのときは、残念ながら、どうすることもできない。その取引を救ってくれる人はどこにもいないのだ。何千ドルもの大金を失いかねない。これは危険なことである。
  2. 取引を実行するマーケットメーカーとスペシャリストが、ブローカーから来た注文に対して支払いをする場合がある。つまり、トレーダーの注文を、ブローカーが「マーケットメーカーとスペシャリスト」に「売る」のだ。以前、売買手数料は、ひとつの注文につき9ドル程度であった。
     なぜ、あなたの注文にマーケットメーカーとスペシャリストが平均9ドルもの手数料を支払うのか。もうお気づきだろう。彼らはあなたの注文を使って儲けようとしているのだ。

 これでも手数料無料は魅力的だろうか。「タダで手に入るものはない」ことを知っておくのは大切だ。つけは、いずれ自分に回ってくるものだから。
 では、どうやって安全なブローカーを選べばいいのだろうか。私なら消去法を使う。
 最初に、注文の執行にブラウザーを使うブローカーはすべて除外する。ナスダックへの注文送信、確認、注文のキャンセルに、長くても6秒以上は待てないからだ。
 また、約定未定の取引やキャンセルの確認のために、繰り返しリフレッシュボタンを押すのも意味がない。長い目で見れば大きな損失を生む。
 以上のことから、「注文やキャンセル結果を"リアルタイムで表示できる"ソフトを持った」ブローカーを選ぶ。ソフトはReal Tick?がとても頼もしく、扱いやすいと思う。このソフトは、私が以前から使っているソフトだ。安心感が最大の魅力である。
 この本を最後まで読んでいただければ、私がテクニカル分析を重視したトレーダーであり、チャートを使って仕掛けのポイントと手仕舞いのポイントを認識していることがわかっていただけると思う。チャートは視覚的なものだ。その点でも、Real Tick?は優れてると思う。このソフトが見せてくれるチャートは、ほかの売買ソフトと比べ高品質で、明るく、分かりやすく、鮮明だからだ。
 次に、オンラインのブローカーでもECNとマーケットメーカーに直接アクセスできないものはすべて除外する。「直接アクセスできないようなブローカーと取引をする」デイトレーダーは、間違いなく不利な立場に置かれるだろう。なぜなら、自分の注文が別のルートを通って売買されるからだ。これは、売るにしても買うにしても、最も良い値段へのアクセスが直接できないことを意味している。
 それにしても、自ら可能性を潰してしまい、不良プラットフォームを使っているデイトレーダーが、いかに多いことか。

私がブローカーを選択する場合

  1. リアルタイムソフトと市場への直接アクセスを提供するブローカー最優  先する。
  2. ブローカーのカスタマーサービスと手数料を考慮して、最終的に決める。




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