ツバイク ウォール街を行く 目次

本書に寄せられた賛辞
謝辞
まえがき ミレニアムの株式市場――それはこれまでの市場とはどのように違った ものとなるであろうか
はじめに いかにして高まるリスクを予見し、暴落の日に利益を得たのか

第一章 本書は株式市場に関するほかのすべての書籍とどのように違い、読者に何 を提供できるのか
第二章 どのように、またなぜ市場分析と銘柄選択をするか
第三章 市場平均――その意味するものとは?
第四章 金融諸指標――「FRBに逆らうな」
第五章 モメンタムに関する諸指標――「トレンドは友である」
第六章 金融諸指標とモメンタム諸指標の統合――手放すことのできなくなる唯一 の投資モデル
第七章 テープに逆らう――大惨事に至る道
第八章 センチメントに関する諸指標――大衆に別れを告げるとき
第九章 季節性指標――一年を通した相場予測案内
第一〇章 主要なブル・マーケットとベア・マーケット――いかにして早くそれを 見つけるか
第一一章 いかにして勝ち銘柄を選び出すか――ショットガン・アプローチとライ フル・アプローチ
第一二章 私の銘柄選択法――ときに「あまりにも早く」売却してしまうことはなぜ正しいのか
第一三章 ストップ! リスクを最小に抑え、利益を最大にするためにいかに投資 を管理するか
第一四章 空売り――それは非アメリカ人的ではない
第一五章 投資に関する質疑応答
第一六章 賢明な投資家に贈る結びの言葉

訳者あとがき

著者紹介
訳者紹介


■まえがき

ミレニアムの株式市場――それはこれまでの市場とはどのように違ったものとなるであろうか

 筆者が株式市場でのキャリアを開始した三五年ほど前、証券会社のトレーダーた ちはいわゆる「チョークボーイ(黒板書き)」による株価表示で株価を追っていた。 スクリーン上に映し出された古いティッカーテープを注視し、大きな黒板にそのとき どきの主導的な銘柄の直近の価格を一定の時間ごとに書き出すのが、チョークボーイ たちの仕事であった。
 比較的短期間でわれわれは大きく進歩した。今や、高速度の電子取引は日常のも のとなった。グローバルな情報ハイウエーが爆発的に拡大しており、われわれの国内 経済はますますグローバル化している。ミレニアムが近づきつつある今(一九九八年)、これは投資家にとってどのような意味を持っているのであろうか?

 一つ言えることは、証券取引所での出来高が絶えず増加し続けることが期待でき るということである。これまで以上に詳細な情報がより早い速度で入手可能となるた、取引はますます容易になる。今や、トレーダーたちは広範囲のオプション(選 択肢)に囲まれている。オンライン・トレードが可能であり、一日二四時間を通して 証券会社にコンタクトすることが可能であり、さらには、自分自身のコンピューター 上での取引も可能である。
 二つ目には、グローバル経済へのトレンドが継続し、さらに加速するということ である。情報がこれまで以上に速いスピードで入手可能になることで、アメリカ人に とって、ヨーロッパ、アジア、さらには第三世界の国々の株式や債券を購入すること がより容易になる。ミューチュアル・ファンドに投資している個人投資家にとって、 そのような投資はすでにありふれたことになっている。もちろん、外国人もまたアメ リカ市場にさらにかかわりを強めている。

 情報は希少価値のある商品である。歴史を通して、常に最初に知った者にはその ことに対する褒美が与えられた。ロスチャイルドは、業務上の通信手段に伝書鳩を利 用した。そして、その後、電報、ティッカー(受信印字機)、そして電話の時代が やってきた。筆者の会社では、ノートを比較し、戦略を考案し、業績について報告する ため、カンファレンス・コール(電話による会議)を利用している。今では、さらに 情報を交換するために多数の人々が利用しているコンピューターやインターネットが ある。
 筆者は大学院生時代、企業の業績動向についての情報を得るためによく図書館に 通い、スタンダード・アンド・プアーズの会社名鑑をじっくり研究した。現在は、自 分のコンピューター上の幾つかのボタンをたたくだけで、大量の統計データがすぐ手 に入る。
 人々は常に金銭的な儲けにつながる早耳情報の入手に躍起となる。その結果、わ れわれは、より多くの新聞、ニュースレター、週刊誌、そして株式関連ニュース専門 のテレビ番組などを見るようになった。おそらく、われわれは上手に利用するには多 すぎる情報を得ているかもしれない。しかし、物事は、基本的にかつてそうであった ものとは異なってしまったのであろうか?

 筆者はそうとは思わない。思い起こしてほしい。ニュースを早く入手することの 目的は、他人の機先を制することにある。しかし、現在では市場に影響を与えるどん な情報に対しても、だれもが同じように簡単にアクセスをすることができる。これ は、だれでもが同じ土俵で戦うことができるようになったということである。

 一つの類推として、戦車とマシンガンの発展を考えてみよう。南北戦争で、もし 一方の側だけが戦車とマシンガンの双方を所有していたならば、その結果には決定的 な差が生じていたであろう。第二次世界大戦においては、すべての国がこれらの武器 を所有していたため、どちらかの側に大きな優位性があったということはなかった。 しかし、これらの武器をどのように展開したかによって、その勝敗が分かれたのである。これは株式市場においても同様である。事実上、すべての人が入手可能な大量 の情報を、どのように活用するかが勝負の決め手になる。
 不幸なことに、非常に大量の情報が存在しているため、株式市場における個別の 投資決定は容易ではない。例えば、一九二〇年代初期には、自動車産業は成長し、輸 送に大変革を及ぼすことは確実であった。では、自動車株を購入すべきであったか?
 それは、状況次第であり、一概には言えない。勝ち銘柄を選ぶことは常に大変困 難なことである。そのころ、フォードはまだ公開企業ではなかった。しかし、長期間 にわたり、今日ではもはや単に記憶されているだけの存在となってしまった自動車 メーカーを購入することは可能であった。それらの幾つかの名前を挙げれば、ハップ モービル、スタンレー・スティーマー、スタッツ、そしてナッシュである。現在は、多 くの自動車会社が姿を消している。もしゼネラルモーターズを購入していたならば、 よくやったと言える。クライスラーは何度か倒産しそうになったが、持続していたな らば、結果はオーライであった。その他の企業はすべて姿を消した。

 同様なことが航空会社にも当てはまる。四〇年か五〇年前、航空機産業は離陸す ると思われた。したがって、ナショナル・エアライン、イースタン・エアライン、あ るいは現在はもはや存在していないその他の航空会社を購入していたかもしれない。
 もっと最近では、コンピューターがある――メーン・フレーム、ソフトウエア、ハードウエアなど。この産業は急速に拡大することは確実であった。初期の段階では、IBMといわゆる「BUNCH」グループがコンピューターの先導銘柄であった。「BUNCH」の面々とは、B(Burroughs)、U(スペリ・ランドの一部であ るUnivac)、N(NCR=National Cash Register)、C(Control data)、そしてH(Honeywell)である。IBMはかつてこの業界のリーダーであったが、現在の業績 は芳しくない。また、その他の企業も業務を停止したか、困難に面している。

 もし情報の爆発的増加が勝ち銘柄の選択をより単純化することがないのであれ ば、そのことは、われわれにこれまで以上に投機をする手段を与えたことになる。昔 は、証拠金取引によって株式の購入をすることができた。投機的取引は基本的にそれだ けであった。今では、容易に外国市場に参入し、オプションや先物を取引し、通貨取 引も可能であり、その他もろもろの投機的取引が可能である。しかも、これらは機関 投資家だけに限られたものではなく、個人が自己勘定で取引できるものである。この ように、特に、非常に多くの人々が自分の退職に備えて頼りにしている個人退職金積 立勘定(IRA)や四〇一kプランにおける投資に関連して、さらに自分をトラブル に巻き込むことになる多くの方法が今や存在しているのである。

 現在この序文を執筆中の一九九八年初めにおいて、ミューチュアル・ファンドは 四兆ドル以上の資産となっており、資金は流入し続けている。キャッシュの着実な流 入にもかかわらず、市場はけっして一方通行ではなかった。最後のベア・マーケット(筆者は、ベア・マーケットと呼ぶには広範な市場平均で少なくとも二〇%下落す ることが必要と考えるが)は一九九〇年の終わりにあった。これは、永久に続くこと はできないのだ。

 われわれは、一九七三〜七四年以来、深刻なベア・マ―ケットを経験していな い。当時、市場は連日下げを続ける悲惨な状態にあり、やっと一九七四年に底を打っ た。現在は一九九八年である。大恐慌以来の最悪な市場の深淵を見てから二四年が経過 している。まったく新しい世代の投資家とプロたちがウォール街に参加してきてい る。一九七〇年代初期の残酷なベア・マーケットを切り抜けた人で、われわれの身近に いる人の数はますます少なくなっている。今日の市場のなかにいる人々の多くは、良 き日々や短命であったベア・マーケットを知るのみである。このような人々が市場で 適切な対処ができなかった場合、予想もしなかった壊滅的損失に遭う可能性がある。
 これは、予言ではない。私は真実について語っている。株式市場は、経済成長に ふさわしいリターンを提供できるだけである。短期的な動きにおいては、割安に評価 された市場(undervalued market)は通常のリターンよりも高い利回りをもたらすこ とがある。しかし、リターンが数年にわたり過度になれば、市場は経済成長以上に成 長したことを意味し、その後数年間はおそらく、通常以下のリターンか、マイナスの リターン(損失)になるであろう。
 本書は、順調なときよりも、現在のような環境下においてこそ、読者にとって役 立つものとなろう。もし市場が毎年上昇するなら、読者は私を必要としない。また、 本書も必要ではない。単純に株式を購入し、それを保有し続ければよい。もし読者が 一九八〇年代にこれを行っていたら、一九八七年とそれ以外の時期に何度か不安な時 期を経験したにもかかわらず、おそらく良い結果を得られていたろう。しかし、この 戦略は、一九九〇年代半ばやそれ以降を見据えた戦略としてはあまりにも貧弱である といわざるを得ない。

 読者は継続的に変化しつつある状況にいかに反応すべきか? 基本的に、「バイ ・アンド・ホールド(購入して保有を継続する)」という考えを捨てることであると 私は考える。この考えは、誤った戦略であり、一九九〇年代にとっては特に不適切で あると考える。来るべき一〇年においては、これまで以上のベア・マーケット、しか もより深刻なベア・マーケットに遭遇する可能性が高い。リスクを小さくするためには、株式市場や債券市場から投資を引き揚げなければならない時期もあるだろう。 それは程度の問題である。一〇〇%キャッシュ・ポジションに戻す必要はないかもし れないが、リスクが増大するにつれて投資額を削減し、リスクが後退するにつれて投 資を増加すべきである。私が本書で示した市場タイミングを計る方法は、読者がまさ にそうすることに役立つものであると確信している。

 ウォール街には、「今回は違う」というよくささやかれる言い回しがある。もし 読者がそれを信じるなら、その危険性を覚悟すべきである。確かに、それぞれの時点で、事態は少し異なっているかもしれない。しかし、常に多くの類似点があるので ある。ヨギ・べラが触れたように、その類似点は異なっている。しかし、人は歴史か ら学ぶのである。歴史はわずかな違いを伴って繰り返すものだからである。
 例えば、本書のなかで見るように、FRB(連邦準備制度理事会)が金融引き締 めを行い、金利が上昇するときは株式市場のパフォーマンスは悪くなり、金融を緩和し、金利が下がるときはその反対にパフォーマンスは良くなる。読者は、私の示す 指針に従うことによって、条件が有利なときに買い、見通しが悪くなったときには売 るという柔軟性を得るであろう。自分自身と戦うことは止めるべきであり、頑固さを 捨てなければならない。特定銘柄のファンダメンタルズが悪化したら、利益が出てい るか損失となっているかにかかわらず、その銘柄から降りるべきである。自尊心のた めに、損失を被ることを拒否すべきではない。

 この教訓は非常に重要であり、何度も強調したい。損失を生じたまま売ることで 自尊心を傷つけることに耐えられないという理由で、銘柄に固執してはならない。百 戦百勝している人はいないということを忘れないでほしい。野球では、三割打者はず ば抜けた存在であり、三割三分の打者は野球殿堂入りするかもしれないのである。こ れは、三回のうち二回アウトになるプレーヤーは野球殿堂入りの可能性のある人材で あることを意味している。したがって、株式市場において一〇割の打率を期待すべき でない。それは、不可能である。過ちを犯すことはゲームの一部なのである。過ちを 認め、それに対処することによって、過ちから学ぶべきである。

 読者が主としてミューチュアル・ファンドに投資しようという場合でも、私の指 針は読者にとって役立つであろう。その場合、読者は私の銘柄選択法を必要とはしな いが、本書の真価は実は銘柄選択法にあるのではない。最も重要なことは、市場にお けるリスクに対する防御手段として私の種々の指標を利用することにある。
 ミューチュアル・ファンドに何が起こるかということについて読者に分かってい ただくために、私は、ミューチュアル・ファンドをモニターしているリッパー・アンド・カンパニー社から幾つかの統計を入手した。一九六八年末に同社がモニターし ていた一連のグロース・ファンドを読者が購入したとすると、その一〇年後、読者に は利益がまったくないという結果となっていた。読者が実際に利益を得るのに、およ そ一〇年半かかったということであった。一九七一年と一九七二年のある時期に利益 になった期間はあったが、その後、それらの利益を失ってしまったのである。
 一連のグロース・ファンドを購入し、一〇年後になっても利益を実現できないと いうことを想像してほしい。不幸にも、それが時折生じる現実なのである。本書で詳 述した私の時の試練を経た技法は、そのような時代に貴重なものとなると確信している。私の考案した指標がリスクの上昇を示すならば、ミューチュアル・ファンドの 一部を適宜売却し、その指標が方向転換をしたときに買い戻しをすべきである。

 私は市場の落とし穴について述べたが、常に、株式に投資するうえでの好機とい うものがある。株式は長期間にわたり、債券、財務省短期証券、あるいはその他の金 融商品に比較してより大きなリターンを実現してきている。しかし、株式は振幅が激 しい。逆説的であるが、市場が悲惨な状態にあるとき、チャンスが最も多く存在して いるのである。読者は、私の指標を使うことによって状況が芳しくないときには、様 子見とする方針をとることができる。そうすることによって、比較的無傷でその状況 を切り抜けることができ、ベア・マーケットが終焉したときに利益を得るために、資 金を温存することができるのである。

 次章において、私が一九八七年末の増大するリスクを私の指標と投資モデルを 使っていかに予見し得たのか、また、なぜに市場が二二・六%の暴落を起こした「ブ ラック・マンデー」に、ツバイク・フォーカストのポートフォリオの価値が九%の上昇 を見せたかという実際にあったケーススタディーを示すことにする。


■はじめに

いかにして高まるリスクを予見し、暴落の日に利益を得たのか

 あの運命の一九八七年一〇月一九日、ダウは二二・六%の急落を示した。本書で 述べる私の時の試練を経た指標と戦略を使い、暴落の前に、私は安全確実な防御措置 をとった。その結果、「ブラック・マンデー」のその日に、ツバイク・フォーカスト のポートフォリオの価値は九%の上昇を見せた。本章では、これらの投資決定をした 背景とその根拠について、読者とともに見ていきたい。

 一九四〇年代、私がまだ子供のころ、夕食時の普通の会話はいつも一〇年前の 「大恐慌」に及んだ。私が株取引をするときに常に念頭にあるのは、あの暗い時期とそ の後のベア・マーケットである。しかし、「一九二九年がやってくる」と大声で叫ぶ ことは、おそらく最終的にそうなって、正しかったということになる前に、何度も過 ちを犯していることになろう。そして、そうなる前に、何度も「狼」が来たと叫び、 だれもが信じなくなるであろう。さらに、一九二九年とその後の「大恐慌」は、ほと んどの人々に心理的荒廃をもたらした。少なくとも、一九八七年の暴落における壊滅 的な出来事は、多くの人々が忘れかけていた一九二九年を想起させるものとなった。
 「ブラック・マンデー」に先行する期間を除くと、最後に二九年が再来したと私 が思ったのは、一九七八年九月であった。市場はまさに崩壊寸前であると確信し、ツ バイク・フォーカストに「暴落に備えよ」と書くことに何のためらいも感じなかっ た。 私は当時の状況を二九年と比較することを続けた。市場はその直後に「一〇月の虐 殺」で崩落した。しかし、被害は、ダウが一三・五%の下げ、平均株価(ツバイク 非加重平均株価指数)が二一・七%の下げにとどまった。
 しかし、これは取るに足りないものであった。また、二九年の再来でもなかっ た。そこで、私はその経験(それと単純に過ちをしていたとき)から学び、二九年につ いて声高に叫ばないこととした。その代わり、もし、そして二九年型大暴落の可能性 が浮上してきたときには、静かにそれについて語り、ポートフォリオを守る戦略を採 用しようと考えた。

 私は一九八七年になってからずっと、市場全般が過大評価されていることを懸念 していた。しかし、その年が一九二九年、一九四六年や一九六二年といかに類似して いるかということに実際に関心を集中し始めたのは、レーバー・デー(九月第一月曜日)のころからであった。すべての年は結果的に暴落した。しかし、暴落が発生す る前の状況が八七年に最も類似していたのは二九年であった。そのため、私は暴落に 先立つツバイク・フォーカストにおいて二回にわたって述べた結論に至った。

 一九八七年九月のツバイク・フォーカストにおいて、公定歩合の引き上げについ て書いた。そのなかで、一九四六年や一九六八年(後の一九六九年にはもう一度行わ れた)には、公定歩合が引き上げられたために、いかに非常に厄介で大幅な市場急落 に至ったかということや、一九七三年に最初に公定歩合が引き上げられたすぐ後にい かにしてベア・マーケットが始まったかということについて書いた。ウォール街で は、おおかたの人たちは危険な状態になる前に少なくとも三回の引き上げが必要だと主 張する。私は、株価がいかに不合理な水準にまで過大評価されているかを示すため、 市場のPER(株価収益率)、配当利回り、純資産価額(簿価)のグラフを掲載し た。

 次の一九八七年一〇月号の見出しは、「リスクが上昇しつつある」というもので あった。その冒頭では以下のように書いた。「最近の数週間の全般的なパターンは一 九二九年、一九四六年、あるいは一九六二年の状況と違っているとはいえず、株価暴 落の直前にある。疑いもなく、リスクは前回見られた一九八一年のベア・マーケット 以来最大となっている」。私は意図的に一九二九年、一九四六年、あるいは一九六二 年に起ったことの生々しい場面に触れることを避けた。それは必要ではなかった。そ れだけではなく、私は、二九年がやってきたと絶対的な一〇〇%の確信を持っている わけではなかった。私は単に、自分たちがほどほどの好機に直面したと判断しただけ であった。しかし、同時に、数カ月前から続いている投機的熱狂はまだ続くのではな いかという懸念も持っていた。一〇〇%確信を持つことができていたならば、取引で きるすべての銘柄を空売りしていたところであったのにと残念である。しかし当時、 暴落を確信できる人などいるはずはなかった。私は、確率に基づいて取引するのであり、確実性に基づいて行うのではない。したがって、主要なポイントは「戦略」で あり、説教することではなかった。

 そのような趣旨で、私は九月二五日、私のツバイク・フォーカストの電話ホット ラインのメンバーすべてに、彼らのポートフォリオの一%を一一月限プット・オプ ションの購入に振り向けるようアドバイスした(プット・オプションは、その保有者に 対して特定の期限内において特定の価格で特定の株数を売却する権利を与えるもので ある)。

 その当時、一一月限のプットはおおよそ八%のアウト・オブ・ザ・マネーであっ た。換言すれば、たとえ市場が八%下がったとしても、プットはその時点では価値 はないというものであった。さらに、もし市場が大きく下げても、一一月までに下げ なければ、そのプットは価値がなくなるものであった。このプットは、市場が一一月 半ばまでに崩壊したときにのみ価値が生ずるものであった。

 もし、一九四六年や一九六二年規模の急落が生じた場合には、プットはわれわれ の買い建てているポジション(これはまた、逆指値注文によってリスクが限定されて いた)の約四〇%程度を十分保護できる程度に上昇する、そして適当な利益さえもた らすかもしれないと、私は考えたのである。もし私が間違っていた場合は、このプッ トはポートフォリオ全体の単に一%の損失を生じさせることになるが、その損失は、 もし市場が上昇した場合にはその利益によって相殺できたであろう。ご記憶のことと 思うが、私はけっして積極的ではなく、単にその確率に賭けていただけなのである。
 その結末は、市場はまさに一九二九年の再来に向けて動いたということである。 ダウは、一九八七年八月の高値二七二七から一〇月一九日の終値のクライマックスで の安値の一七三八まで、三六・一%の急落をした。それは、一九二九年の暴落におい て一〇月二九日に下げのクライマックスを記録したときの三九・六%に匹敵するもの であった。その結果、九月後半に二ドル八分の三で購入したプットの価格が急騰した (私がフォーカストにおいてプットを購入したのは一六年間でわずか二回しかな く、このときのプット購入も二年ぶりであった)。

 私は、市場が下げるに従って、プットを細かく分割して売却した。一〇月一五日 を皮切りに、その後の数日間で五回に分けて、九・二五、一九・二五、五四・〇〇、 八六・五〇で、そして最後に一〇月二〇日に一三〇で売却した。プットの加重平均し た利益は、二〇七五%であった。これによって、われわれのポートフォリオ全体の価 値は二〇・八%増加し、そのとき損切りしていた残りの株式に生じた七%の損失を相 殺しても余りあるものになった(一〇月一六日の大引けまでに、ポートフォリオの株 式投資はちょうど八%に低下していた)。その結果、われわれのポートフォリオはブ ラック・マンデーによって、九%の利益を実現したのである。

 もし私が天才であったなら――この業界において実際に天才などは存在しないが ――市場崩壊が起こる前にすべてを売却し、もっと多くのプットを買い付け、大底を 打った日まで全部持ち続け、何兆ドルもの利益を出すことができたであろう。しか し、それは現実ではない。現実にできることは、指標が弱気を表示したときにはリスク を徹底的に削減し、状況が好転したときに数ドルの利益を上げることを願い、いつか また心地よいブル・マーケットがやってきて、そのブル・マーケットで相場を張るこ とができる程度に十分な資金が残るように、暴落や災難や地震を生き抜くことができ ることを祈るということであろう。

 私は、まったく自信がなかったにもかかわらず、なぜそれほどまで市場崩落を懸 念していたのであろうか? 第一に、私が金融状況、心理状態、テープ状況を計測す るために用いている諸指標は、その市場崩落の前にはわずかな弱気を示していたのみ であった。私は、これらの指標のモデルをコンピューターの助けを借りて数十年分採 取していたので、これらのモデル全体の指数を、過去のデータの最上位一〇%、次の 一〇%というように、デシル(十分位数)に分類できる。

 一〇月一九日の暴落の数週間前に株価が下げたとき、モデル指数は単に第四位の デシルに下がったのみであった。それが一九八四年以降では最悪のデータを示してい たが、全体的に見ると、一九七三〜七四年のベア・マーケットのときのデータは最上 位と第二位のデシルを示していた。第四位のデシルは市場平均をわずかに下回るもの である。もちろん、一九八四年末以降はほとんど第八位から第一〇位という水準で推 移していた。
 第四位のデシルは、歴史的にはS&P指数で年率三・四%程度の下げという結果 であり、第一位のデシルは年率で二八%以上の損失を発生させている。金融状況は、 信用危機は生じておらず、わずかに弱気であったに過ぎなかった(イールド・カーブ は右上がりであり、それだけが一九二九年と一九八七年の唯一の違いであった)。心 理指標は、ほぼ中立的であった(心理指標はその年の年初は悪化しており、伝統的に 市場が最終的に天井をつける前にそれまでの最悪の状態から幾分改善してくる)。 テープは、もちろん、弱気を示していた。

 したがって、定量化し検証することができる私が用いている指標は、市場の先行 きを否定的なものと表示していたが、異常なほどに否定的というものではなかった。 私を最も悩ませたものは一九二九年、一九四六年や一九六二年との類似性であった。 見慣れたパターンはPERと配当利回りから見て、市場全般が過大評価されていたこ とであった。数年にわたって大きな市場の修正局面を経ることなしに株価が直線的に 上昇し、ダウ構成銘柄のなかには株価が倍になったものやそれ以上になったものが あった。このような条件があったとき、私は、以下のことに気づいた。つまり、ブル・ マーケットの後半では、小規模な市場の修正局面(一九八六年秋に一七七五ドルか ら開始した修正)から数カ月間にわたる大きな相場上昇(ラリー)があり、またもう 一つの小規模な修正局面(一九八七年春の二四〇四ドルから二二一六ドルへの下げ) があり、その後に二〜三カ月間継続した最終的な上昇局面(そのとき、それは八月の 二七二二ドルで天井をつけた)への短期的なより小規模の急騰があったことである。

 これらの初期の市場は、そのときには「通常の」修正局面のように見えるものと して始まったが、すぐに市場崩落へとつながっていった。九月における主要なポイン トと私を当惑させたものは、小規模な修正局面が展開されるにつれて、ウォール街に おける心理は「買い」に傾いていったことであった。だれもが下げを恐れることない はないと考えるようになり、そのことに私は恐怖を感じ、プットを購入したのであっ た。

 私は、その場の状況に応じて単純にブルになったりベアになったりして、適切な 戦略を採用し、指標が反転するまではそれに固執し、その後、戦略をシフトすること が最も好ましいということを数年かけて発見した。いかなる状況の変化にも対応でき るように準備を整え、その状態を継続しておくには、市場に関して信頼し得る指標に 常にアクセスできるようにしておくことが非常に重要である。そして、それらの指標 が何かをすべきことを指示しているときには、それをすべきである。私が経験した最 も被害の大きかった過ちは、それを無視したこと、あるいはもっと悪いことには、パ イロットが自分のコンパスを疑ってしまったように、自分の指標を信じなかったこと にある。私は、本書で詳しく解説している市場に関する各種指標を三二年もかけて試 験し改良してきた。それらは完璧ではない。しかし、私がこれまで知るもののなかで は最も信頼できるものである。

 辛抱強いということは、投資において最も貴重な属性である。私は、それを今日 の偉大な野球打者のウエード・ボッグスや私の時代でのテッド・ウィリアムスになぞ らえる。彼らの成功の秘訣は、好球を待つことであり、どのようなボールにでも大振 りすることではない。理想的には、ピッチャーをノーストライク・ツーボールかワン ストライク・スリーボールというカウントに追い込むことである。これで、ピッ チャーは、ストライク(しばしば、速球)を投げることを強いられる。つまり、もし打者 が辛抱強ければ、彼は勝ち目を自分に有利にするように努力できるものである。そう した後に、そう、そうした後にのみ、打者はボールを確実にヒットにできるのであ る。

 株式市場においても、事情はほとんど同じである。攻撃的な戦略で大振りをする 前に、指標がまさに決定的になるまで待つことによって、「カウント」が自分に有利 になるように努力すべきである。もし指標が買いあるいは売りのどちらかの方向にか なりの勝算を示さなければ、防衛的なポジションを取ることに甘んじ、好機の到来を ただ待つのみである。以下の各章において、読者がこの投資哲学からいかに利益を生 むことができるのかについて記し、それを実証することにしよう。


■訳者あとがき

 著者のマーチン・ツバイクはミシガン州立大学からファイナンス論で博士号を取 得しているが、単に学問の世界で成功しただけではない。現実の投資アドバイザー業 務やファンド運用の実践を通し、多くの投資家からの信頼を得ている。ハルバート・ フィナンシャル・ダイジェストが投資アドバイザーに関する格付けを開始したのは一 九八〇年半ばであったが、それ以来一度もツバイクの格付けを下げていない。そのよ うなアドバイザーは、一四五社に及ぶ投資アドバイザーのなかで、ツバイクともう一 社しかないとのことである。ツバイクはアメリカで随一の投資アドバイザーといって も過言ではないだろう。これまでツバイクの著作が日本で翻訳出版されなかったこと が不思議なほどである。

 そのツバイクが強調する投資家としての資質で最も重要なものが規律である。わ れわれは、投資家として株式市場や証券ブローカーと対峙するとき、いわゆる資金の 出し手として、かなりの自由を、あるいは裁量を持っている。例えば、ある銘柄が大 きく下げたとき、これをどう評価するのか。ある人は、株価反転の機会となる絶好の 押し目ととらえる。一方、ある人は、この下げが直近の安値を下にブレイクしたこと から、下降トレンドの始まりとみて、空売りの好機と考える。つまり、どのような評 価をし、どのような投資判断をすることも各人の自由なのである。

 しかし、だからといって、何をしても構わないというわけではない。実は、混沌 たる市場の向かっている方向は一つでしかなく、われわれ投資家にはその流れに乗る ことだけしか許されない。一見すると、投資の世界においては、一〇〇%の自由度が 投資家にあると思われがちであるが、勝利をするためには、そのための方程式を解く 自由しか与えられていない。ツバイクが言う規律とは、そのような勝利のための方程 式を解くために、自己を律することであろう。感情に捕らわれることなく、また、目 前の市場の光景、一時的現象にとらわれることなく、相場のトレンドを大きく把握 し、適切な銘柄選択によって、その相場の流れに乗る。

 ツバイクは、相場のトレンド把握のための実に有効なシグナルを開発し、それを ダウやS&P指数、彼の開発したZUPI指数などで検証している。それらは、金融 動向に関する諸指標、市場のモメンタム(騰勢)に関する諸指標、センチメントに関 する諸指標であり、その幾つかを統合したスーパー・モデルなどである。

 休むも相場という言葉があるが、相場が明らかにベア・トレンドであると判断で きるとき、ツバイクは株式市場から資金を引き上げることを示唆している。そして、 相場が明らかにブル・トレンドにシフトしたことを確認してから、株式市場への資金 投入を本格化させることを提唱している。絶えず市場のリスクに身をさらし、結果的 に投資元本をすり減らしてしまう愚を避けるには、その状況を見極めて、規律を持っ て相場に臨むことが必要である、ということだろう。また、本書で散見される数々の 経験と洞察力に満ちたツバイクの言葉は、投資家にとっての貴重なアドバイスとなる であろう。

 二〇〇一年八月   中村正人


■著者紹介

マーティン・E・ツバイク(Martin E. Zweig)
ツバイクは、「ツバイク・ファンド」と「ツバイク・トータル・リターン・ファン ド」の会長であり、大変な影響力を持ったトレンド判定に優れた『ツバイク・ フォーカスト』の発行者であり、70億ドルの資金を運用する金融ストラテジストであり、「全米で新進気鋭の、かつ最も尊敬を集めている銘柄発掘者」と称賛されている マーケット・アナリストである。

■訳者紹介

中村正人(なかむら・まさと)
1969年中央大学法学部政治学科卒業。東京都財務局主計部公債課主査(外債担当)、旧・新日本証券(現・新光証券)国際金融部課長、ロンドン現地法人引受営 業部長、ソシエテジェネラル証券企業金融部長などを経て、証券金融専門の翻訳業を 営む。


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