推薦のことば

2000年、日本での「ワールドカップトレーディングチャンピオンシップ」開催の可能性を検討するため、タイコム証券の代表者達が私の元を訪れた。このとき私の心のなかには、答えのない数多くの疑問がわいていた。
日本のスタッフたちは米国以外のマーケットで、このリアルマネーによる「チャンピオンシップ」をうまく再現できるだろうか? コンペティションという競争方式のコンセプトを、日本の投資家やトレーダーたちは受け入れることができるだろうか? われわれの「チャンピオンシップ」でも、長い年月をかけてようやく期待できるようになったトレードのレベルを、果たして日本の投資家たちが持っているだろうか?
そしてその答えはすべて「イエス」であることが証明された。とても喜ばしいことだ。2001年の後半に開催された第1回「ロビンス−タイコム先物チャンピオンシップ」は、われわれの予想を上回るものだった。それに加えて、日本のトレーダーたちのパフォーマンスもとても驚くべき結果であった。この日本でのチャンピオンシップが開催されて以来、米国のトレーダーたちからも再三「彼らの秘密は何だ」と聞かれるくらいである。
彼らの「秘密」とは、ハードワークと才能だと私は思っている。優勝のFairy氏の1098%という驚異的なリターンに対し、ほかにどのような説明がつけられるだろう? 炭谷道孝氏の665%にしても同様である。最初のチャンピオンシップで上位3名が300%以上の収益率を上げるとは…。このような快挙は、米国大会でも今だかつて達成されていない。また、忘れてはならないのが、この驚くべき結果が6カ月という期間でつくられたということである。早い話「彼らはスゴイ」のである。
しかもこの記録は、一回限りというわけではなさそうだ。Fairy氏は第2回大会でも709%というリターンを上げ、第1回大会の勝利がまぐれでないことを証明した。このような高い収益率を相次いで出すトレーダーは米国大会参加者にもいないのだ。
私は彼らに脱帽し、心から「Omedetou(オメデトウ)」と祝福したい。そして彼らの手法の秘密を明かす本が出版されるという。期待しているであろう多くのトレーダーともども私も楽しみにしている。

2002年11月
ジョエル・ロビンス
ロビンストレーディングカンパニー代表


チャンピオンシップの成り立ち

スターの誕生

1987年、当時はまだ無名だったひとりの米国人トレーダーが、あるトレードコンテストに参加した。
1年間の運用期間ののち、彼は1万ドルの資金を114万7607ドル、つまり114倍に増やし、そのコンテストで優勝した。これをきっかけに世界的に名をはせるトレーダーとなった彼の名は、ラリー・ウィリアムズ。そしてラリーを輩出したこのコンテストこそ、米シカゴにあるロビンストレーディング社が主催する「ワールドカップトレーディングチャンピオンシップ」なのである。
このトレードコンテストがはじまったのは1984年。それ以来、先物業界では最も長い実績を持つこのリアルタイム・リアルマネーのコンペティションは、全米のトレーダー達のプロへの登竜門的な存在として、確固たる地位を築いている。
この舞台で伝説を作ったのはラリー・ウィリアムズだけではない。
1989年、1990年、1992年の大会で優勝したマイク・ランドグレンはファンダメンタルズを唯一の材料とし、ライブ・キャトルだけをトレードするという異色の手法で、3度の栄冠に輝いた。
日系3世のカート・サカエダというトレーダーは、デイトレードを中心に短期間のポジションを取るトレーダーが圧倒的に多いなか、シーズナル(季節的)要因を利用し、5〜10カ月という長期の時間枠でポジションをとって、2000年度優勝者となった。
また、こんな逸話もある。ラリー・ウィリアムズの娘であり、現在は女優として活躍しているミッシェル・ウィリアムズは1997年、ラリーが初めてこの大会に優勝してから10年経過した記念として参加した。ラリーに手法を教わりながらの参戦だったが、1万ドルを11万94ドルにし、なんと優勝してしまったのである。
そして、エリオット・ウエーブの理論家として有名なロバート・マイヤー、資金管理のプロとして活躍するライアン・ジョーンズなど、この大会から輩出され、世界的な認知度を得たトレーダーも少なくない。彼らのように過去に大会に入賞したよりすぐりのトレーダーたちは現在、「ワールドカップアドバイザー」というチャンピオンシップのサポートサイトで情報サービスを提供している。会員はホームページ上で彼らのアドバイスやリアルタイムの売買譜も見ることができるほか、毎日のマーケットリポート、ニューズレターや著書、ビデオの販売、トレーダー養成口座など、多岐にわたって活躍の場を広げている。
「ワールドカップ」のルールはいたって単純である。その年の1月に始まり、12月末の終了時までに資金を何%増やしたか、その収益率を競うだけだ。最低1万5000ドル以上の資金でロビンス社に口座を開けば、いつからでも、だれでも参加できる。しかし、このシンプルなルールゆえ、そして1年という運用期間ゆえ、トレーダーたちの真価が如実に現れるのである。
勝敗にこだわり、大きく儲けることばかりを考えていては、コンテスト終了時まで残ることはできない。さらにリスク管理を第一に考え、安定した収益を上げていかなければ上位に入ることはできないのである。だからこそ、ハイリスク・ハイリターンといわれる商品先物市場で勝ち残った者は、運用のプロとして通用する実力を備えているという証明にもなっているのだ。

2000年、日本を舞台に開催

そして2000年、数多の実力派トレーダーを輩出し、実績ある大会として確立したこのトレードコンテストが、日本市場を舞台に開催されることとなった。それが「ロビンス−タイコム先物チャンピオンシップ」である。
日本国内においては、ようやくバーチャルトレード(仮想売買)での投資ゲームが定着してきた程度の状況下で、リアルタイム・リアルマネーでのコンペティションは当然のことながら初の試みである。ルールは米国大会と同様の評価体系を用い、ロビンス社のバックアップを得ての実現ではあったが、日本の個人トレーダーたちにこのリアルコンペティションが受け入れられるかどうかは実際のところ未知数であり、事実、開催を危ぶむ声も少なからずあった。
また、ここ数年で劇的に投資環境は変化しているとはいえ、バーチャルトレードではなく実際に自分の資金でコンテストに参加し、成果を上げられる個人投資家が日本にどれだけいるのかということも、正直うかがいしれなかった。
日本にも驚異的な収益を上げる
スーパートレーダーがいた!

だが、さまざまな懸念は、開始当初から杞憂に終わる。
第1回大会は2000年7月から半年間にわたって開催された。第1週目にトップに立ったハンドルネームFairy氏は、その後も順調に収益率を伸ばし続け、結果的に1度もトップの座を譲ることなく1098%という驚異のパフォーマンスを叩き出して優勝した。
そのFairy氏の後をぴたりと2位につけていたのが、炭谷道孝氏である。大会後半でのFairy氏とのデッドヒートは高い注目を集め、最終的に667%という収益率での準優勝となった(図参照)。
Fairy氏の1098%という収益率は、18年の歴史を誇る米国大会でも歴代3位をマークするもので、またそれに次ぐ炭谷氏の667%というように、同大会でこれだけの収益率を上位2名が達成した例は米国大会でも類をみないという。
またこの結果はロビンス社側と同様、米国大会に参加するトレーダーたちにも、日本の一般投資家のレベルの高さを証明することとなった。ロビンス社のホームページに掲載されている日本大会のランキングをみて、米国の投資家から「彼らに資金を預けたい」というリクエストもあったという。
第1回大会で彗星のごとく現れたFairy氏と炭谷氏は、その表彰式で初めて直接顔を合わせる。その記念イベントのパネルトークに現れる2人を目当てに、会場は一般投資家達で溢れた。
一見淡々とした語り口のなかにも、その独特のトレードセンスが光るFairy氏と、いったん口を開けば会場が笑いに包まれるユーモアあるキャラクターでありながら、10代からの相場経験で培った独自の相場哲学で持論を展開する炭谷氏は、非常に対照的な個性を持ち、そのトレード手法も異なるものであった。
その後、2人の好対照といえるキャラクターと、チャンピオンシップの高収益の秘訣である手法の一部を紹介するためのセミナーが東京と大阪で開催された。当日の会場は、満員御礼である。一般の投資家が講師となるセミナーでは異例の出来事ではないだろうか。そして、このときのセミナーのための原稿が、本書ができるきっかけとなったのである。

これからも優れたトレーダーが生まれる

ラリー・ウィリアムズのサクセスストーリーは日本でもあまりに有名だが、日本の大会もチャンピオンシップ参加を機に活躍の場を広げる道筋をFairy氏と炭谷氏が第1回大会にして早々に創ってしまったといえるだろう。
彼らのほかにも、日本の個人投資家のなかに優れたトレードスキルを備えた実力者たちがまだまだ埋もれているはずだ。
米国と日本の制度の相違はあれど、その決定的な違いとは彼らの置かれている社会的立場だ。「資金運用」ということがようやく認知されてきた今日の日本にあっても、「投資家」や「トレーダー」であることを堂々と名乗れるだろうか。しかし、彼らはハイリスク・ハイリターンといわれる商品市場で、驚くべき成果を上げている真の意味での実力者なのである。
Fairy氏、炭谷氏をはじめとするチャンピオンシップ出身者がその礎を築き、一般投資家に光明が差す日が訪れることを心から願い、今後もそんなトレーダーたちが集う場として、この大会を開催していきたい。また、本書がその優れたトレーダーを生むきっかけになってくれるのなら担当者として、こんなにうれしいことはない。

2002年10月30日  

タイコム証券株式会社
「ロビンス−タイコム先物チャンピオンシップ」担当
長野 文


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