グリーンブラット投資法 目次


訳者のまえがき 1

謝辞 3

第一章 成功への道をまっすぐ進め――運転手さん、それからちょっと右へ入ってくれ  11
 プロの挑戦 15
 蓄財の秘訣 18

第二章 いくつかの基本原則――外出しても家に置き忘れてはならないもの 21
 いくつかの基本原則 23
 投資利益の秘密の隠し場所 41

第三章 この親にしてこの子あり――企業分割、部分分割、株式引受権売り出し 47
 企業分割 49
 最善のなかにも最善を選ぶ 56
 <ケーススタディ>ホスト・マリオット/マリオット・インターナショナル 56
 埋められた宝物を掘り返す 65
 <ケーススタディ>ストラテック・セキュリティ/ブリッグス&ストラットン 67
 大当たりのホーム・ショッピング――
 カートライト(英国の有名な資産運用会社・証券会社)一家でもこれほど儲かったことはなかった 74
 十戒 83
 <ケーススタディ>アメリカン・エクスプレス/リーマン・ブラザース 84
 部分分割 90
 <ケーススタディ>シアーズの実質価格 92
 インサイダーからの情報――自分で調べるための手引き 96
 権利はすべて買え 98
 <ケーススタディ>リバティ・メディア/テレ―コミニュケーションズ 103
 企業分割――要約 114

第四章 自宅ではやらないように――リスク・アービトラージとマージャー・セキュリティーズ 117
 リスク(マージャー)・アービトラージ 118
 <ケーススタディ>フロリダ・サイプレス・ガーデンズ/ハーコート・ブレイス・ジョバノビッチ 120
 リスク・アービトラージについてさらに悪い材料 126
 <ケーススタディ>コンバインド・インターナショナル/ライアン保険グループ 127
 マージャー・セキュリティーズ 130
 <ケーススタディ>スーパー・ライト・フーズ 133
 <ケーススタディ>パラマウント・コミュニケーションズ/バイアコム 140
 要約 148

第五章(別名一一章、つまり破産)
 街に流される血(君の血でないことを祈る)――企業倒産と企業再構築(リストラ) 149
 企業倒産 150
 <ケーススタディ>チャーター・メディカル 159
 売却――どんなときにがんばり、どんなときに降りるかを知る 162
 企業再構築(リストラ) 164
 <ケーススタディ>グリーンマン・ブラザース 167
 <ケーススタディ>ゼネラル・ダイナミックス 173
 簡単な要約 178

第六章 一攫千金の投資証券
 ――資本再編成(リキャップ)、スタッブ株、LEAPS、ワラントとオプション 181
 資本再編成(リキャップ)とスタッブ株式 182
 <ケーススタディ>FMC株式会社 187
 LEAPS(長期株式予測証券、長期オプション契約のこと) 190
 <ケーススタディ>ウエルズ・ファーゴのLEAPS 197
 ワラントについての短い説明 205
 もうひとつ短い説明――特殊な状況でのオプション投資 206
 <ケーススタディ>マリオット・コーポレーションのオプション 209
 簡単な要約と無償交付 211

第七章 森を通して木を見る 215
 質問 特殊状況への投資チャンスをどこで見つけられるのか? 220
 名人のまねをする 223
 オーケー――アイデアは見つけた! そこでどうすればいい? 225
  投資情報の直接的供給源 225
  投資情報の間接的情報源 229
 質問 基本的な知識を磨く必要が出てきたらどうする?
 どこで財務諸表の基礎をすぐ理解する方法を学べるだろう? 231
 このキャッシュフローとは一体なんのことかね?
 何なのだ? どうしてこれが重要なんだ? (どうしたら買えるかね?) 232
 本書以外にも、読むに値する投資の本はあるだろうか? 236

第八章 かの地に着くことこそ、すべての喜び 239

付録 245

用語集 247


訳者まえがき

 第一章のタイトルを私は「成功への道をまっすぐ進め」と意訳したが、原文は「Follow the Yellow Brick Road」だ。これはフランク・ボームの『オズの魔法使い』で、主人公がオズの王都へ入るときにたどった道の名前だ。出世街道、成功への道の意味か。

 王都へ続く正しい道を賢く選択することが株式投資で成功する秘訣と著者は言うが、その「王道」はどうやら人があまり通らない道のことらしい。著者は本書のなかで、自分は逆張り屋だと盛んに言う。しかし、地図なき道を通って割安な株を見つけること、つまり真の逆張りこそ王道だと言いたいらしい。そう言えば「人の行く裏に道あり……」という格言がこの国にもある。

 複雑な数学を駆使した現代の投資理論や、ルールと営業利益のしがらみから解放されないアナリストや資産運用者が、この王道から遠ざかってしまっていると著者は言う。読んでいて目からウロコの個所が随所にあった。

 この本がすごいのは、理論だけでなく、実際のケーススタディを豊富に取り入れ、著者が実際に儲かる株を発見し、投資を実行した過程を開示していることだ。彼の投資会社、ゴサム・キャピタルが過去に上げた成績がその裏にあるだけに、このケーススタディには迫力がある。残念ながら、著者が紹介する具体的な投資手段、分割企業や合併関連証券などは日本には存在しないが、基本的な手法、考え方などは十分応用できよう。

 著者、ジョエル・グリーンブラットはきわめて多才な人だ。彼は大手国防企業であるアライアンツ・テクシステムの会長を務めた後、投資業に専念するため自分が創立したゴサム・キャピタルの会長となり、かたわら母校のコロンビア大学で非常勤講師として金融論や経済学を教えている。著者の持ち味である、ユーモアとゆとりはこの有能さのゆえか。この本の八章で著者は、成功する投資家とは、投資を長い人生の伴侶と考え、その旅程そのものをエンジョイする人だと言う。「かの地に至ることこそ、喜びのすべて」と古い歌は言うが、投資の旅には「かの地」はないのだから、旅そのものが楽しみであるべきだと言う。

 この本全体を貫いているのは、著者のユーモアだ。気の利かないこの翻訳者がどこまでそれを表現できたか心配である。ちなみに、ゴサムとは愚か者ばかりいたことで有名なイギリスの村か、またはワシントン・アービングがそれにちなんで命名したニューヨークの別名だ。著者は一体どんなつもりで命名したのだろう。

 このように面白い本を手がけさせていただいたパンローリング社の後藤康徳社長と編集の阿部達郎氏(FGI)に心から感謝する。

 二〇〇一年七月

奥脇 省三


謝辞

 この種の仕事がすべてそうであるように、この出版においても責めを負うべき人の数は多い。この本における間違い、手抜き、間違った表現、誤ったアドバイスなどについての最終的な責任の所在は、もちろん、クリーブランド出身のある男にあるのだが、この男がだれなのかだれも特定できないようなのだ。そこで結局、私が指で指し示して、以下の容疑者たちを名指しせざるを得なくなった。

 まず、ゴサム・キャピタル社の全員だ。このなかには、私の共犯者、ダニエル・ニールがいる。私がゴサム・キャピタル設立に当たって、ハーバード大学ビジネススクールに通っていた彼を幸運にも引き抜くことができた――彼の存在こそゴサム社成功の大きな要因の一つであり、また今回のプロジェクトにおいても重要な貢献者であり、支援者であった。彼は私が今までに選んだ最高の銘柄の一つであり、私のパートナーだ。そして、ロバート・ゴールドスタイン、彼の酷薄なまでに率直な(しかも不幸なことにフェアで洞察に富んだ)コメントのおかげで、この本は随分良いものになった――彼に対しては、この本の随所にある多くの投資事例(と、それに伴った利益)への特別な貢献に感謝するが、特筆すべきは、チャーター・メディカルの発見とホスト・マリオットおよびリバティ・メディアに関する特別な仕事だ。同じく私のパートナー、エドワード(ネッド)・グリアー、彼のコメントと本書のなかの多くのケーススタディに関する素晴らしい調査活動に特別な感謝を捧げるが、そのなかにはゼネラル・ダイナミックスとストラテックの調査が含まれる。これらの抜きんでた投資家たちは、そのだれもがパートナーの助けなどなくても驚くような投資記録を達成できたかもしれないが、それでも私は、このような才能に恵まれた友人のグループとともに仕事をする機会に恵まれたことを自分に与えられた特権だと思っている。

 才能ある人でかつ友人といえば、私はゴサム社の献身的で恐れを知らぬチーフ・トレーダー(もっともトレーダーは一人だけだが)のリサ・アルパートに特別な感謝を捧げたい。同じく才能に恵まれた友人でチーフ・フィナンシャル・オフィサーかつ何でもできるナイスガイのブルース・バーコウィッツ(同姓同名だがウェルス・ファーゴの投資家は別人)と、すべてに才能豊かな事務の責任者、アリソン・ジャレットにも特別の感謝を捧げる。

 ゴサム一家のメンバーとして、特に言及すべき人があと二人いる。最初のブルース・ニューバーグはゴサム社の成功について、文字どおりのパートナーであった。彼はゴサム社の設立を可能にした創業時の資金集めの責任者であったのみならず、絶え間なく出てくる思慮深いアドバイスや特に優れた投資のアイデアと大きな友情によって、大きく貢献してくれた。このような忠実で良き友人を持てたことはすべての人にとって幸せであった。もう一人のゴサム一家のメンバーは、実は私の妹である。リンダ・グリーンブラットは、この本に関しての主な相談相手であり、建設的な貢献者であった。驚くべきことに彼女は、この本を一五回も読んだ後でさえ、笑うべきところで笑うことができたし、しかもその間、彼女の新しい投資のパートナーであるサドル・ロック・パートナーズを成功に導くだけの時間を見つけることができたのだ。彼女の無限と思われる忍耐力、献身、知性は素晴らしい結果を生むのに大きな効果を発揮した。リンダの助けなしにこのプロジェクトが完成しなかったのは間違いない。

 重要な貢献と友情という観点から見たその他の容疑者のなかには次の人たちがいる。ハミルトン・パートナーおよびコロンビア・ビジネススクールのジョン・スカリーは古き良き時代からの私の師であり友人だった。オッペンハイマー社のエリック・ローゼンフェルト常務取締役、メトロポリタン・キャピタル・アドバイザーのジェフェリー・シュワルツ・マネージングパートナー、プゼナ・インベストメント・マネジメントのリチャード・プゼナ、キャニオン・パートナーズのミッチ・ジュリス・マネージングパートナー、ボウポスト・グループのセツ・クラーマン社長、私の弁護士でありレイン・アルトマン&オーエンスのパートナーであるジョセフ・マゼーラ、スミス・バーニー社の私の担当者であるロバート・クッシェル、栄光あるアパッチ・リレーの記憶にかかわるマーク・ギンペル氏、合衆国海兵隊のゲーリー・E・ウォーレン少佐のユーモアに対し、また、ラビ・ラベル・ラムの計り知れないほど価値ある指導、特に最後の章に出てくる「時は人生の通貨」という考え方に対して感謝する。

 以下の人たちにも特別な感謝を捧げる。デルフィ・フィナンシャル・グループの会長であり、アコーン・パートナーズのマネージング・パートナー、ボブ・ローゼンクランツ。ゴサムに対する彼の長年にわたる比類なき支援に対して感謝する。一九八〇年代に二年半ほどゴサムのパートナーだったエズラ・マーキン、最初の五年間、ゴサムのチーフ・トレーダーだったスタン・カルパン、サイモン・アンド・シュスター社のボブ・マッコイ編集者、同社の私の担当者、サンドラ・ディクストラ、この本が最初に提案されたときに助けてくれたガイ・ケテルハック。みんなにもお礼を申し上げたい。

 私の家族全員の愛と支えと励ましに特別の感謝を表したい。彼らは、それぞれが協力し最終的な結果に大きく貢献してくれた(私にも本にも)。私の素晴らしい両親であるアランとムリエル・グリーンブラット、リチャードとアミー・グリーンブラット、ドクター・ゲイリーとシャロン・クーハン、妻の両親であるドクター・ジョージとセシル・ティーバー。この人たちにも特別な感謝を捧げる。

 私の息子にも感謝する。彼の熱っぽい質問、「それで、お父さんは何をする人なの? お巡りさん? 消防士? ねえ、なんなの?」。この質問がこの本を完成させるのに一番大きな励ましとなった。少なくも今は私は答えられる。「ドクター・スースが何をしたか知っているだろう?」(訳者注 有名な子供絵本の作者)

 最後に、私と三人の子供たちの愛そのものである(私の妻の)ジュリーへ、君とともにいる貴重な日々という贈り物に感謝する。


第一章

成功への道をまっすぐ進め

 ――運転手さん、それからちょっと右へ入ってくれ

 たった一冊の本で、株式市場でひと財産を作る方法が学べるというのは理屈に合わない。本を一冊読んだだけで数十億ドルを扱うファンドマネジャーたちやフレッシュな教育を受けたばかりのMBA(経営学修士)の集団と競い合って成功するチャンスがどれほどあるというのだろうか? 二四ドルのハウ・トゥーもののこの本一冊を誇らしく手にする読者と、あの連中との一騎打ちはどう見てもフェアではない。

 事実、フェアではない。ウォール街の裕福な資金運用者もやり手のMBAも、この本と読者には勝ち目はない。いや、そうは言っても、この本の第八章に魔法の公式が書いてあるわけではないし、この本は小著『手を下さずに事業に成功する方法』の続編でもない。でも、惜しみなく十分な時間と努力をつぎ込めば、株式市場で儲けることもひと財産作ることも可能だ。

 オーケー、分かった。しかし、何か落とし穴があるんじゃないかな? そんなに簡単なら、どうしてMBAやプロのファンドマネジャーのほうがあんたをやっつけることにならないのかね? 連中は間違いなく十分に時間を使って努力もしている。連中全員がロケット工学の博士でないにしても、田吾作はあまりいないはずだ。

 確かにおかしなことに見えるが、けっして落とし穴などない。明らかにおかしいと見えること、つまりなぜこの本を読んだ読者が相場の「プロ」をやっつけることができるかどうかの答えは、アカデミックな考え方の本質、ウォール街における投資の内幕、そう、それと私の妻の両親が週末ごとに何をしているかを見れば分かってくる。

 まず学歴についての耳寄りな話から始めよう。簡単に言えば、もし読者の目的が市場実績に勝つことなら、一流大学のMBAとか博士号などといったものは実際、何の助けにもならないということだ。これはいい話だが、もっとも株式市場で成功したい一心から、ビジネススクールにカネと時間をすでに思いっきりつぎ込んでしまっていなければの話だ。実は、アカデミックな相場理論のほとんどはこんなことを基本的な前提としている――つまり、常に市場の実績に勝利し続けることは不可能だ、よほどの幸運に恵まれないかぎり――はというものだ。

 一般に、効率的マーケット理論(Efficient Market Theory)とかランダムウォーク理論(Random Walk Theory)とか呼ばれる理論では、何千という投資家やアナリストが公開されているすべての情報を考慮に入れて売り買いを判断し、かつ実行するので、「公正な」株価が形成されるというものだ。そして、株価が適正に値決めされるので(だから、割安株がなかなか見つからない)、市場の平均指標を長期にわたって上回る運用は不可能だという。アカデミックな理論にも簡単に取り上げられたいくつかの例外(例えば一月効果、小型株戦術、低株価収益率戦法など)はあるにしても、ほとんどの「市場に勝つための」戦法は、取るに足らない理論だとか、一時的に当てはまるだけだとか、税金と取引費用を考えれば実行不可能とかの理由で捨て去られている。

 指標に勝つことはあり得ないということを前提に、金融論の教授たちは、二次変数プログラムといった難しいもの――大まかに言えば、株式分散投資ポートフォリオを三次元空間でいかに選択するか――の授業に時間を費やしている。要するに、複雑きわまる数学の公式を作り、多少の相関関係と統計理論を導入すれば、よく知られた市場の平均指標の実績になんとか対抗できる可能性も出てくるということだ。なんと言うことだ! その他にもいろいろな理論もあるのだろうが、言っていることは明白だ――どうせ指標には勝てない、だから、やってみるのは無駄だと言うのだ。何千というMBAや博士たちがこのあきれたアドバイスに大金を支払ってきたのだ。

 これら教授たちの基本的な教えをどうしても受け入れられない理由が二つある。一つは、アカデミックな理論が用いる前提と方法論にいくつかの基本的な弱点があることだ。この弱点については、後で簡単に見ていくが、このことはこの本の中心課題ではない。次に、これがもっと重要なのだが、たとえ、教授たちの言うことが一般的に正しく、また市場の株価形成が適正であっても、彼らの研究やその結論は、この本の読者には当てはまらないということだ。

  ウォール街には、こんなアカデミックな理論を無視しなければならない明確な理由がある。なぜなら、取引手数料にせよ、投資顧問料にせよ、投資家からアドバイス料をもらうという考えは、投資アドバイスには意味がないという考えとは一致しないからだ。しかし、相場のプロたちにとって不幸なことに、事実はアカデミックな理論の結論のほうを支持しているように見える。もしアカデミックな理論が正しいのであれば、年金や投資信託のファンドマネジャーの長期運用実績は市場平均の実績から運用手数料を差し引いたものになるはずである。効率的マーケット理論と多少異なるが、実際にはプロたちの実績は、運用手数料を差し引く前の段階ですでに、市場平均の実績から年率にして一%ほど下回っている。プロによるこの残念な実績は、市場の株価形成が適正だからそうなるという理論で説明できるものなのだろうか。または、この冴えない結果を生む何か別の要因が働いているのだろうか?

プロの挑戦

 私はこの業界で最も優秀なプロの一人と思っている人間と話し合ったことがあるが、彼は私の友人で、そう、ここではボブと呼ぼう(もっとも本名はリッチと言う)。ボブはある有力投資会社で一二〇億ドルのアメリカ株式ファンドの運用をしている。この金額を別の形で表現すれば、競馬場に行って一〇〇ドル札で一二〇億ドル賭けると、ワールドトレードセンター二〇個分の高さに積み上がる(言うまでもなく、こんな賭け方をすれば賭け馬の配当率は間違いなく吹っ飛ぶが)ということだ。ボブは、運用成績の最低目標と成功かどうかの目安をこのようにしていた――つまり、運用するポートフォリオの運用利益が、S&P社五〇〇種平均の実績に、どのぐらい上積みできたかである。事実、ボブの実績は驚異的だった。過去一〇年以上、彼の平均年間利益率はS&P五〇〇のそれを二〜三%も上回っていた。

 ちょっと目には、「驚異的」という言葉と年率二〜三%上というのは何かつじつまが合わないようにみえる。確かに、年率二%ずつ余分に積み上げ、それを複利で計算すると、二〇年後には元のパイよりも五〇%ほど大きくなる計算だが、でもこのことでボブの実績を驚異的と言っているのではない。ボブの成績が素晴らしいのは、一〇億ドル規模のポートフォリオ運用の世界では、長期にわたって一貫してこれだけの上積みを行うことは信じられないほど困難なことなのである。ちょっと計算してみるだけで、この運用資産の大きさがどのような制約をボブに与えているかが分かる。ボブが、この一二〇億ドルをいくつかに分けて投資するとき、一銘柄当たりの投資金額がどのくらいになるかを考えてみるといい。五〇銘柄のポートフォリオを組むと一銘柄当たりの投資金額はおよそ二億四〇〇〇万ドル、一〇〇銘柄なら一億二〇〇〇万ドルとなる。

 ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所、ナスダック店頭証券取引所には、合計でおよそ九〇〇〇社の株式が上場されている。このうち時価総額が二五億ドル以上の株式は約八〇〇社で、一〇億ドル以上は約一五〇〇社ある。ボブがどの株式についても、発行済株式の一〇%以上の保有を希望しないものとすると(規約上または流動性から)、最終的にポートフォリオに組み入れるであろう最低銘柄数は五〇―一〇〇社に落ち着きそうだ。しかし、もし彼が投資対象を拡大することにして、例えばあまり人が追いかけない、おそらく未発見の割安株を求めて時価総額が一億ドル以下の銘柄にまで投資対象を広げたとすると、最低組み入れ銘柄数は簡単に二〇〇以上となるだろう。

 直感的にお分かりになると思うが、分散されたポートフォリオを持つことには一つの利点がある。それは、一つや二つ不運な選択をしても(つまり、損をする銘柄があっても)、運用者の名誉が不当に傷つけられたり、彼の財布に影響が出たりはしないことだ。それでは、「適切に」分散されたポートフォリオが保有すべき銘柄数は五〇だろうか、一〇〇だろうか、それとも二〇〇だろうか?

 投資対象の分散は、証券投資に伴うリスク全体のほんの一部(しかも重要ではない一部)にしか対応していないことが分かっている。仮にリスクへの予防措置として九〇〇〇銘柄全部を保有しても、市場全体が変動するというリスクを犯しているということになる。市場リスクと呼ばれるこのリスクは、「完璧な分散投資」によっても消滅することはない。

 単純に投資銘柄数を増やしても市場リスクは避けられないが、そうすることは、「市場外リスク」と呼ばれる別の種類のリスクを避ける助けにはなる。市場外リスクとは、株式投資のリスクの一つだが、株式市場の一般的な値動きに直接関係はない。これは、工場が焼失したとか、新製品の売れ行きが予想を下回ったということから発生する種類のリスクだ。資金のすべてを時代遅れの豊胸材会社とか、氷砂糖会社とか、ハッカバックのセーター会社などにつぎ込んでしまわないで分散投資をすれば、どんな会社にも起こり得る不幸からくるこの種リスクは防ぐことができる。

 統計的には、二銘柄保有すると一銘柄保有するよりも市場外リスクは四六%少なくなる。ポートフォリオが四銘柄ならこのリスクはおそらく七二%減少し、八銘柄なら八一%、一六銘柄なら九三%、三二銘柄なら九六%、五〇〇銘柄ともなれば九九%のリスクがなくなることになる。統計数字が正確かどうかにこだわらないなら、次の二点は記憶に値するだろう。

 一.異なった業種の株式を六〜八銘柄買ってしまえば、リスクを減らす目的でさらに銘柄を増やすメリットはわずかだ。

 二.ポートフォリオの銘柄数を単純に増やしても、一般的な市場リスクは低下しない。

 実際のところ、ボブが好みの銘柄を選んで、それを二〇銘柄、三〇銘柄、八〇銘柄と買い付けていくとき、彼は自分に課せられた方針、つまりポートフォリオのサイズ、規約上のポイント、誠実性の原則に適合しているかに従っているのであって、選んだ株のすべてが最初の選択から最後まですべて同じように良いものばかりだとか、分散投資に最適の数字だからこれだけの銘柄を選んだというわけではない。

 ボブにとってつらいことは、彼は大型株を数十銘柄選んでいくしかないことだ。つまり、広く世間に知れ渡った株式という限られた銘柄のなかから選択し、大量の株式を値段に影響を与えないようにうまく売り買いし、隠れるところのない金魚鉢のようなところで働く、そしてその成果は四半期ごと、いや月ごとに判断される。

 幸いなことに読者の立場は違う。

 蓄財の秘訣

 ボブが明らかに手いっぱいだとすると、株式市場でひと財産作りたい投資家はどこへ目を向けたらよいのか? どうやら、良きにつけ悪しきにつけ、すべての道は私の妻の両親が住む家に向かっているようだ(ご心配なく、私の妻であって、あなたのとは言っていません)。

 週末、彼らは地方のオークション会場や古美術商の店、家財処分場などを探し出しては、自分たちのイメージにぴったりの美術品や骨董品を求めるのを常としている。熱心な収集家としての彼らは、所有して日々眺めて喜びを感じる作品を求める。隠れた投資家としての彼らは、未発見の、またはまだ評価の定まっていない美術品や骨董品で実際の価値よりはるかに安く買える作品を探す。

 投資家モードのときの両親の戦術はとても単純だ。ポダンク骨董品&トラクター部品商会(ポダンクはど田舎の意)できれいな骨董家具を見つけたときでも、グランマ・ボゴドナッツ(おばあさんのチビッコ・ドーナッツ)商会の屋根裏から出た美しい絵の場合でも、買う前に一つ自問自答をしてみる。これに似た家具や絵で、買おうとしている価格よりはるかに高くオークションで落とされた(またはディーラーが買った)ものが最近あっただろうか?

 まことに単純で、彼らが知らなかった別の質問のほうがおそらくもっと参考になったはずだ。「この画家は、次の時代のピカソだろうか?」とか、「一八世紀のフランス家具はこれから値段が天井なしになるだろうか?」などという質問は、彼らはしていない。こんな未来予知ができれば素晴らしいだろうし、おそらくカネになるだろうが、予知する能力、知識、タイミングを結びつけ、未来の出来事から絶えず利益を上げる人などほとんどいない。ポイントは両親たちが未来を予測できるかどうかではない。その必要はない。彼らは、現在を研究して利益を上げる方法をすでに知っているのだから。

 このことは、美術品や骨董の知識がカネ儲けに役立っていないというのではなく、知識なら同じものをだれでも手に入れることができるということだ。彼らの武器は、この知識を人の歩かないウラの道で用いていることだ。こんな道を探すのは大変かもしれないが、ひとたび見つけてしまえば、ほかの消息通の収集家との競争もなく、彼らには「公正ならざる価格」で取引する機会が開かれる。

 割安な株の探索にも同じことがいえる。ほかの情報通の投資家が一心に追っかけているものとは違う状況の探求と分析にエネルギーを使えば、割安な投資対象を見つけだすチャンスはきわめて大きくなる。問題はその状況が何かということだ。  それはある配管工の昔話のようである。配管工が家にやってきてパイプを一回だけガツンと叩いてから言った。

 「一〇〇ドル頂きます」

 「一〇〇ドルだと! あんたはパイプを一回ガツンとやっただけじゃないか!」と、主人は言った。

 「とんでもない、パイプのガツンはたった五ドルだよ。どこをガツンとやればいいかを知っていること、これが九五ドルになるんだ」と、配管工は言った。

 株式市場では、どこをガツンとやればいいかを知っていることが蓄財の秘訣だ。このことをしっかりと心に刻みつつ、市場に隠された宝の秘密の隠し場所を暴いていこうではないか。

第二章

いくつかの基本原則

 ――外出しても家に置き忘れてはならないもの

 私が一五歳のころ、なんとかもぐり込めるバクチ場といえばハリウッド・ドッグレース場だけだった。でも、これは大変なことだった。というのは、初めてこっそり違法入場したとき、私は間違いなく儲かる大きなグレイハウンドのお宝を見つけたのだ。第三レースに、過去六レースのすべてで三二秒で駆け抜けた犬がいた。私たちが「ラッキー」と呼んだこの犬のオッズは、九九―一だった。第三レースを走るラッキー以外の犬は、それ以前のどのレースでも四四秒以上かかっていた。

 もちろん、私はそのときの自分にとってはひと財産と思えるカネをラッキーに賭けた。ほかの犬に賭けたバカどもが、カネをくれるというならそうしてもらおうじゃないか、と。しかし、ラッキーが最後のホーム・ストレッチで落ちこぼれていくのを見ているうちに、ほかのギャンブラーに対する意見が少しずつ変わり始めた。

 これは、ラッキーには初めての長距離レースだった。どうやらほかの連中はみんな知っていたらしいのだが、前のレースでのラッキーの華々しい記録はもっと短い距離で達成されたものだった。ほかの犬はみんな長距離のベテランだったのだ。九九―一で絶対確かなはずだったものが、蜃気楼のようにおカネと一緒に消えてなくなっていった。

 でも、このことで良いこともあった。この瞬間、私は貴重なレッスンを受けたのだ。最低限の知識と理解力がなければ、素晴らしい投資物件とただの犬の見分けさえできない、と。株式市場の裏通りに隠された宝石を探しに出かける前に知っておくと、便利な基本原則のいくつかをお見せしよう。

いくつかの基本原則

 一.人がしない自分だけの仕事をする

 自分だけの仕事をしなさい、と言うには二つの理由がある。最初のは簡単だ。ほかに方法がないからだ。他人が省みないものを本当に探し出したいのであれば、そこにはメディアの情報もなければウォール街の調査もない。産業情報や会社情報はいくらでも手に入り、またとても役に立つ情報もあるが、読者の方が行う投資を儲かるものにしてくれる特殊状況に焦点を絞った情報などありはしない。しかしそれで良い――情報は多ければ多いほど良いというのが読者の信条ではないだろう。

 もう一つの理由も、このことと密接に関係がある。いくらでも大きなリスクを取るから、できるだけ大きな報酬が欲しいと望んだりするだろうか。そんなことなら、だれにでもできる。大きな報酬が欲しいのは人のしない自分だけの仕事をするからだ。特別な投資機会を探し分析できる数少ない人には、リスクに見合った適当な分け前がどのくらいであるべきかよく知っている。しかし、人の目にはっきり見えない隠された投資機会のすべてが素晴らしいとは限らない。報酬がリスクを間違いなくはるかに上回っている状況に「賭ける」のが正しいのである。

 当然だれでも、勝ち目の大きいほうのチャンスに投資したがるだろう。そのような特殊な機会は存在するのだが、それを知らないので、そうすることができない人がほとんどだ。自分の足で行った調査や分析に対する報酬は、公平とは言えないほど大きな経済的利益を提供してくれる投資の機会を得ることができることだ。大儲けはけっして大きなリスクを取った結果ではない――それは自分しかできないことを行ったことへの当然の報酬なのだ。

 でも、勝つ確率が不公平なほど大きなものに投資して何が面白いかって? いや、面白い。

 二.三〇歳以上の人間をだれも信用してはならない

 三.三〇歳か、それ以下の人間をだれも信用してはならない

 お分かりだろうか? 人が電話で持ってくる結構な投資の話は、買わない宝くじが当たるかというのに近い。良い話なのかもしれないが、そうである確率は非常に低い。証券会社から電話や手紙が来たら、ナンシー・レーガンのアドバイスどおりにするのがよさそうだ――「ノーとだけ言いなさい」と。大手証券会社の調査アナリストの収益予測や株価予測の結果もまったくお粗末だ――低位の投機株をしつこく勧める中小証券の結果がまだましだと信じるなら、手紙でこの本の代金を返せと請求してほしい。これは救いようがない。有名投資会社のような機関投資家でさえ、特に素晴らしい助言を得てはいない。

 なぜこれほどお粗末なのかという理由は、本質的には制度にある。アナリストのほとんどは報酬を顧客から直接得ることはない。アナリストによって作られる調査報告や推奨レポートは、証券会社の営業部門によって手数料商売の見返りとして切り売りされている。以前から問題になっているが、アナリストが「買い」推奨を出すことに対するインセンティブは大変大きい。顧客が現在保有している株式よりも保有していない株式のほうが当然はるかに多いので、結果として新しい「買い」推奨を出すほうが売り推奨を出すよりも手数料を稼ぎやすいのだ。

 調査アナリストにとって、もう一つの職務上の障害は、会社の株式をこき下ろすアナリストは通常、重要な情報源から遠ざけられてしまうことだ。会社幹部との重要な接触や広報担当者からの情報はほかのもっと「協力的」なアナリストに回される傾向がある。このことがアナリストの仕事をさらに難しくしている。さらに、株式をこき下ろしたアナリストのいる証券会社が、その会社から将来の引受幹事の指名を受けるチャンスはおそらく少ないであろう。率直な「売り」推奨のかわりに、「乗り換え対象」とか「持続」とか「時期尚早」などのよく見かける婉曲な表現が使われる理由がここにある。

 この弱気の見通しを出す以外にもいくつかの問題がある。会社の収益や株価の予測について、仲間のアナリストたちと自分が違う意見だったら、アナリストとしての立場が非常に難しいものになるからである。それは、みんなが正しいと思っている状況に一人で反対して間違った観測をするというリスクを犯すよりも、間違った大勢のなかの一人でいるほうが無難だからだ。そのため、アナリストから新鮮で個性的な考えを得ようとするのは難しくなってしまう。

 またアナリストのほとんどは特定の業種だけを担当している。化学産業アナリスト、銀行業アナリスト、小売業アナリストなどがいるが、彼らは担当以外の産業に属する株式の相対的な投資メリットについては何も知らない。だから、化学産業アナリストがある会社の株式に「買い」指示を出しても、化学以外の五〇もの産業に属するほかの株式と比較して投資効果を考えているわけではない。クリーブランドのダウンタウンのある場所は三ブロック向こうからは素晴らしく見えると言っても、ビバリーヒルスと比較すれば大したことはないのだ。

 アナリストの仕事は結局ある業種内での企業間比較だから、ある企業に特別な事態が発生しても、その事態がそのアナリストの専門知識外ということもよく起こる。例えば、会社分割、合併のような事態がそのアナリストが担当している会社に起こった場合でも、それは起こり得る。事実、アナリストの多くは、会社そのものに大きな変化が起こっているときには格付けを停止したり、追跡調査を休んだりしている――これは、彼らの仕事の内容を考えれば理解はできるが、アナリスト本来の目的が儲かる投資へのアドバイスということなら、あまり役立っていないことになる。

 次にアナリストが直面するのは冷徹な現実の経済だ。株式や投資環境の調査に要する時間や努力に見合う十分な収入(株式手数料や将来の引受手数料)が調査対象から生み出せないかぎり、ウォール街のアナリストは採算が合わない。したがって、大量の取引が行われることのない資本金の小さな会社の株式や無名の株式、特殊な状況にある株式などは通常、無視される。皮肉なことに、大手証券会社にとって調査が採算に合わないような分野こそ、まさに投資家にとって最も大きな利益の可能性を秘めた分野なのである。

 結論を言えば、払う手数料によって投資アドバイスの質が違ったりすることのないおとぎの国に住んでいても、厳しい現実に直面する。担当営業マンが信用できる人間だろうとなかろうと、証券会社には投資家の資金をどう運用してよいのか分からない。しかし、営業マンを責めてはならない――たとえ彼が三〇歳以上でも。これは制度、つまりシステムのせいなのだ。システムがうまく機能していないだけなのである。

 なに、それでも頼れる人から良い情報をもらいたいって? 結構。では、ハリウッドへ行って第三レースのラッキーに賭けたまえ。

 四.勝負する場所を選ぼう

 サマーキャンプのハイライトは旗合戦だった。キャンプに初めて参加した者にとって旗合戦とは、キャンプ全体が二つのチーム、ブルー組とグレー組に分かれてまるまる一週間かけて戦う毎年夏恒例の儀式にみえた。二つのチームは、年齢別のグループに分かれていて、グループごとにいろいろな種類のスポーツで競い合い、どちらが多くの勝ちを収めるかを争う。旗合戦のハイライトはアパッチリレーと呼ばれるものである。これは旗合戦の最後に行われるレースで、すべての年齢別チームをまとめて一チームにして、もう一方のチームと対戦する。キャンプの参加者は全員、ドミノの駒のように、一人一人が一つのスポーツ競技にチャレンジするか、または何か変わった芸をやって見せ、終わると同じチームの次の人に順番が回る。

 そこでは、昔のアッパチの戦士のように参加者は一人また一人と、あるいは単純なランニングや水泳、またはパン食い競争(手を後ろに縛る)や口でくわえたスプーンに卵を乗せて歩く競技で競う。ほかの競技と違って、どちらのチームが優勢かは、どちらの競技者が強いとか早いで決まるのではなく、どちらのチームに運良くデビッド・ベルソツキーが入っているかだった。デビッドの役割は、彼の次にいる人が水際まで走り下ると言った簡単なことをする前にピンポンのネットサーブを三回することだった。

 ピンポンのネットサーブとは、サーブをしたときに、ボールがネットに引っかかりながらもネットの向こう側に落ちることを言う。夏の間、デビッドはただの常連の一人だったが、このサーブに関しては、彼は一回、二回、三回と思うがままにボールを操り、だれにもできない技を発揮して、時には秒単位で勝負の決まるアパッチリレーで決定的な何分かを稼ぐのだった。レースが始まる前の緊張のなかで、デビッドのチームのざわめきではいつも、「心配ないさ、こっちにはベルソツキーがいるよ!」と言うのが聞かれた。その後ベルソツキーがどうなったか知らないが、もしピンポンのネットサーブがプロスポーツかオリンピックの競技種目だったら、デビッド・ベルソツキーの名前は今日、間違いなくベーブ・ルースやマイケル・ジョーダンと同列で語られていたに相違ない。

 一体、何を言いたいのかって? 言いたいのはこうだ。もしデビッドが何かの試合に出るとき、その内容がいつもネットサーブをいくつできるかであれば、デビッドはさぞたくさんの勝ちを収めただろう。残念ながら、人生、いつもそう簡単にはいかない。戦いの中身や場所をいつも選べるとは限らない。しかし、それが株式市場の場合は、できるのだ。

 ウォーレン・バフェットの言葉にも、同じような考え方がいろいろ出てくる。「ピッチャーの投げる二〇球のうち振るのは一球でよい」「ウォール街には見逃しのストライクはない」「自分の打てる球が来るのを待て」

 競馬で最も成功する人は(私に言わせれば損の一番少ない人)、レースごとに賭けたりせず、はっきりと確信が持てるレースにだけ賭ける人だ。投資も投資環境に十分な知識があり、確信が持てるときにのみ投資するのが理屈にかなっているし、そんなときの成功率は非常に高くなる。魅力があると思われる投資機会を次から次へと試すことで、一番良いアイデアや投資機会を薄めてしまうのはナンセンスだ。もし新しい一〇種競技ができ、「ネットサーブ」がその一〇種目のなかの一つだったら、デビッドの特殊な能力と有利性は薄められ、彼が一〇種競技で勝てるチャンスも小さくなるだろう。だから、もしだれもやめろと言わないなら、退場させられるまでネットサーブだけを続けるのが正解だ。

 「全部の卵を一つのバスケットに入れ、そのバスケットを監視する」という戦術は、世間が考えるほどリスクは高くはない。株式市場の投資利益率が、過去の実績から年間平均およそ一〇%と仮定すると、統計的にある年の利益率がナイマス八%〜プラス二八%の範囲に収まる確率は三分の二になる。統計学的に言えば、市場の平均利益率を一〇%とすれば、ある年における利益率の標準偏差はおよそ一八%だ。それでもこの三六%(ナイマス八%〜プラス二八%)という信じがたいほど広いレンジの外となる確率が明らかに三分の一はあることになる。この統計は五〇〜一〇〇銘柄を保有するポートフォリオ(つまり、大方の株式型ミューチュアルファンドのポートフォリオ)を対象としている。

 もしポートフォリオが五銘柄だけなら、統計はどうなるだろうか? ある年における予想利益率のレンジは非常に大きくなるように見える。一〜二銘柄の突拍子もない値動きがどれほど結果をゆがめるか、だれにも分からないのだから。しかし、答え言うと、利益率がナイマス一一%〜プラス三一%に収まる確率はおよそ三分の二である。この場合、ポートフォリオの予想利益率は一〇%としている。ポートフォリオの銘柄数が八なら、レンジは多少小さくなってナイマス一〇%〜プラス三〇%となる。五〇〇銘柄保有のポートフォリオと大きな違いはない。どの場合でも、レンジの幅がトラックで走り回れるほど広いという事実は、ポートフォリオに五〇銘柄も持っていない人たちを喜ばせ、非常に多くの銘柄を保有することで予想利益率が保証されると考える人たちに恐怖を与えるだろう。

 長い目で見れば(二〇年、三〇年を指す)株式は、その年間収益に大きな変動があっても、おそらくは最も魅力のある投資手段だ。したがって、十分に分散投資されたポートフォリオを所有していることは、市場の指標実績を反映した実績を可能にする。株式に関しては、指数と同じ実績はけっして悪い話ではない。

 しかし、もし指標を大幅に上回ることを目標にするなら、取るべき道は、試合の場所を選ぶこと、二〇球に一回しかバットを振らないこと、ネットサーブにこだわること、それ以外のどんなことでもよいが、自分の得意なことに持ち込むことだ。選択肢を絞り込んだ結果、自分の厳しい基準に合う状況がいくつもないことを問題にしてはならない。的を絞り込んだポートフォリオを保有することの不利益――年間の潜在ボラティリティが少し上昇するかもしれないこと――よりも、そうすることによる長期的利益率の増加がはるかに大きいはずだ。

 数少ない卵を一つのバスケットに放り込む、という考えがまだピンとこないようですか? でも、あきらめるのはまだ早い。数少ない自分の好みにだけ投資するという、実効性を損なわずにリスクに取り組む方法はあるのだから。

 五.株をたくさん買ってはならない――カネは銀行に置いておくものだ

 健康な三五歳の男性が不幸にして翌年死亡すれば一〇〇万ドル支払うという契約を、保険会社は一〇〇〇ドルも払えば受けてくれる。保険統計表によれば、これは保険会社に有利な賭けだ。しかし、個人が保険会社の立場になってこれを受けるだろうか? それはない。その理由は、統計が何を示していようと、とにかく一〇〇万ドル失うわけにはいかないからだから――それもたった一〇〇〇ドルのために。一方、保険会社の場合は、何千という保険契約者をプールすることによって、保険統計表どおりの引き受けリスクを持つポートフォリオを組むことが可能だ。だから保険会社は、個人がとても受け入れられない賭けを継続的に受けることで良い商売ができる。

 事実、あるリスクは、それだけを単独で見れば危険かつバカらしく見えても、ポートフォリオ全体から見直すと意味あるものに見えてくる。もしリスクの分散がそんなに良いことなら、なぜ私は少数の銘柄を持つほうが良いと言い続けているのか?

 その理由は二つある。まず最初に、保険会社は個々の保険契約で一ドルにつき一〇〇〇ドルを失うリスクの賭けをしている。そこで賭けが利益になるためには、何千もの同じ契約を何年もかけて取り続ける必要がある。ところが株式を買うことには幸い、投資金額一ドルに対し一ドル以上のリスクはない。結果として、買う銘柄が数銘柄のみでも、バカなリスクを取ったという非難は当たらない。だが、私以外の人はみんな、十分に分散されたポートフォリオを持つことを勧めている。では、選び抜いた数銘柄のみに焦点を絞りながら、どのように分散投資の目的を果たせるのか?

 その答えは第二の理由でもある。つまり、ポートフォリオの分散投資がなぜリスクを避ける魔法の公式とならないかだが、株式投資を始めたとき、それをどう考えたか、のなかにその答えがある。多くの人にとって株式ポートフォリオは、その人の投資財産のほんの一部であるのを知っておくことが必要だ。ほとんどの人は財産の一部を銀行口座やMMFに預けたり、また住宅や債券投資、生命保険契約、不動産投資のその他の物件にしている。もし卵全部を一つのバスケットに入れる愚を避けたいなら、このように各種の資産を用いた広い意味での多様化のほうが、株式ポートフォリオを分散化するよりもはるかに効率よく目的を達成できる。したがって、完璧な株式投資戦術を分散投資をすることによって、無理矢理月並みな利益しか出ないものにするな、ということだ。

 家賃の支払い、住宅ローン返済、食料、医療、授業料やその他の必要経費として二〜三年のうちに必要な資金を株式投資に当てれば、何銘柄に分散投資してもそれはリスクだ。九〇〇〇以上ある上場銘柄のすべてを保有するほど分散しても、株式市場から得られる損益の変動は年によって非常に大きくなるのを忘れてはならない。カネが必要なときに株式を売るのは、効率的な株式投資方法とは言い難い。

 理想を言えば、株式の売買判断は投資メリットだけによってなされるべきだ。このことは、株式こそ自分の投資手段と決めていても、余裕資金は銀行かほかの資産として取っておきなさいということだ。資産の一部をサイドラインつまり、株式市場以外に置くことは、分散投資を慎重に行うための妥協である。自分だけにできる仕事をキッチリしていれば、選び抜いた好みの銘柄を少数保有する戦術は、何ダースもの株式や投資信託を保有するよりもはるかに良い結果を生むに相違ない。

 しかし時には、銘柄を厳選する戦略は、その実績の変動が全銘柄を少しずつ保有する戦略であるインデックス・アプローチとして知られるものよりも大きくなることがある。だが、資産全体の投資分散がうまくなされていて、必ず起こるであろう市場の下落のときに株式を売らずに済むのであれば、変動率に多少の差はあっても問題にはならない。問題にしなければならないのは、向こう五〜一〇年の間で果実が実って、口に入れられるかどうかだ。その間には、何十回もいろいろな投資環境に(一回の投資銘柄は少なくても)投資することになるだろうから、それよって素晴らしい利益を伴う分散投資が可能になるわけだ。

 六.上ではなく、下を見ろ

 リスクと収益には、ある種の相関関係があるという重要かつ不変の投資法則がある。ポートフォリオのリスクが高ければ高いほど受ける収益がさらに大きくなるというのが、この道のプロも学者も一致して認める法則である。リスクが小さければ収益も小さい。つまり、何も支払わなければ(小さなリスク)、大物を獲ること(高い収益)はない。この考えはきわめて重要な基本で、ほとんどのプロにとっても学者にとっても投資戦略の基礎となっている。

 もちろん、議論がここで終わるなら、投資家は自分の望むリスクの水準を示せば、それに見合った収益が得られることになる。もし完全に効率的な世界、つまり適正株価が形成される世界があるなら、リスクと収益のこの関係は正しいはずだ。しかし、投資家が探し求めるのは、明らかに適正な価格形成のなされていない投資物件への投資機会(つまり、アナリストにも投資家にも正しく値決めされていない、人の踏み固めた道の外にある投資)だから、このリスクと収益の不変の法則は当てはまらない。

 しかし、だからリスク/収益の考え方が的外れだということではない。それどころか、これは投資概念のなかで最も重要なものだ。重要だからこそ、この考え方が個別株式のリスク分析に用いられるとき、ほとんどのプロも学者も間違った解釈をすることに驚かされる。間違った解釈をする理由はこのリスク/収益関係のリスク部分の計測を、間違った訳の分からない方法で行うからだ。

 リスクとは、一般通念では、収益が変動するリスクだ。学者は、リスクを株式の「ベータ値」、つまり市場全体と比較したある株式の株価変動性で計っている。普通、ベータ値は過去の株価変動の延長として計算するが、これは本末転倒であって、そうすれば株価上昇の変動と下落の変動が大いに混同されてしまう。例えば、過去一年間大きく上昇した株のほうが同じ期間にわずかながら下落した株よりも、リスク度が高いというレッテルを張られる。

 また、ある株式のリスク度を決めるベースとして、過去の値動き(つまり変動性)を用いると誤った結論が出てくる。例えば、三〇ドルから一〇ドルに値下がりした株式は、同じ時期に一二ドルから一〇ドルに値下がりした株式よりもリスク度が高いとされる。両方とも現在では一〇ドルで買えるが、最も大きく値下がりし、最近の高値から大きく割り引きされた株式のほうを、より「リスク度が高い」と見ることになる。それは正しいかもしれない。だが、株価が大きく下がれば下値リスクも大きく減少したのかもしれない。過去の値動きを見るだけではほとんど何も言えないのが本当のところだ。

 事実、過去の価格変動性(ボラティリティ)は未来の収益の指標にならないだけではなく、もっと重要なこと――どのくらいの損失があるのか――を語ってはくれない。もう一度繰り返そう。過去の株価からはどのくらいの損失の可能性があるのかは分からない。リスクというとき、人が最も心配するのは損失のリスクではないのか? 投資による損失のリスクと潜在的な利益の比較が投資というものだ。

 ある株式が儲かるか損するかの判断はきわめて主観的に行われるので、リスクを客観的に計る必要のある投資のプロや学者には、リスクを株価変動性(ボラティリティ)のような概念に置き換えて指標にするほうがほかの手段で計るよりも便利なのだろう。みんながこんな常識外れなことをする理由とは、何かを物差しとして、株式がどのくらい上下するかを推定しなければならないからだ。これは難しく、正確に予測することは不可能であり、おそらく自分自身で考えた物差しを使うのが一番だろう。

 このチャレンジを受けて立つ手段はもう一度、私の妻の両親の考え方に沿って考えてみることだ。覚えておられるだろうが、もし彼らが五〇〇〇ドルの絵画を見つけ、その絵画と同じ画家による似たような作品が最近のオークションで一万ドルで売られていれば、彼らは買う。

 オークションの価格と買った価格の間にあるクッションの五〇〇〇ドルは、証券分析の父と言われるベンジャミン・グレアム(グラハム)が「安全域」と呼んだものだ。両親の判断が正しければ、安全域が非常に広いので、彼らが新しい買い物で損する可能性はきわめて低い。一方、彼らの認識が何かの理由で間違っていても――買った絵画の質がオークションのものよりも低いとか、一万ドルという価格は一時的な異常現象だったとか、絵画購入とオークションの間に絵画市場が暴落したなど――彼らの損失は、最初から入っているクッション、安全域のため最小となるに相違ない。

 したがって、リスク/収益の関係をよいものにする方法は、大きな安全域のある状況で投資することによって、値下がりのリスクにしっかり歯止めをかけることだ。価格上昇のほうは、これもまた計測は難しいが、普通これは問題にならない。言葉を換えて言えば、投資の決定にはまず下値に注目だ、けっして上値ではない。損が出ないのであれば、その他のことの判断はほとんどが正しかったのだ。この基本的な考え方はきわめて単純だが、このポイントを複雑な数式で表現するのはとても難しいだろう。まして、値下がりのリスクは……。

 七.投資の天国へ至る道は一つではない

 株式投資で大きな富を得る方法はたくさんある。そしてそれを試みる人もまた多い。だが成功するのは選ばれた少数の人のみだ。「明日に向かって撃て!」のブッチとサンダンスではないが、「どんなやつらが、どうやってやらかしたんだ?」である。

 そんな投資の成功者の一人で、その手法をよく学ばなければならない人の名前を先ほど出した。ベンジャミン・グレアムはその著書や講演を通じて多くの投資家に影響を与えてきた。「安全域」という概念は、投資という事業に対して、おそらく最も大きく長期にわたって貢献した考え方だろう。グレアムは通常、一株当たり純資産(貸借対照表に開示された会社の純資産額)とか、PER(株価収益率。年間利益と株価の比較)などの客観的手段で会社の本当の価値を計算していた。この価値から株価が大幅に割り込んでいるときだけ、彼は株の買いを勧めた。

 株式市場を見渡してグレアムは言う、君は「マーケット氏」という人と一緒に仕事をしていると想像したまえ。株価は、ある会社の一部を所有するコストだ。あるときには、このマーケット氏はことのほかご機嫌で、君の持ち株にバカバカしいほどの高値をつける。しかし、あるときは、同じマーケット氏が必要以上に恐怖に駆られて理屈に合わないほどの安値をつける。この極端なときにだけ君はマーケット氏を利用し、その言うことに耳を傾けるのだ。グレアムはそれ以外のときには市場を忘れ、会社の業務上、および財務上のファンダメンタルスだけに注意を払っているのが一番だと言う。

 長期にわたって非常な好成績を上げ続けてきた投資家の小グループのほとんどが、グレアムの「安全域」と「マーケット氏」の考え方を何かの形で堅く守ってきた人たちであるのは偶然とは思えない。会社の評価という分野では、グレアムの手法があるときは改訂され、あるときは拡張されてきたが、ここでも彼の考え方の正しさが繰り返し証明されている。会社の純資産と利益から見て、安い株式のみを買うのが長期的な好成績を生むとのグレアムのテーゼは、最近の研究(ラコニショク、シュライファー、ビシュニー著『ジャーナル・オブ・ファイナンス』一九九四年一二月号)でも引き続き支持されている。

 これらの研究によれば、グレアムのように株式選択に会社の価値を考える手法(バリュー・アプローチ)は、グラマー・ストック(人気株)やインデックス・ファンドを買ったり、資金をプロのファンドマネジャーに預けたりするよりは、はるかに結果は良かった。この成果は、効率的市場論の言うところとは反対に、ほかの方法よりも大きな変動性(リスク)を選択することなく得られるし、また資本金の大小にかかわらず当てはまる。

 この理由として、個人投資家もプロたちも、近年業績の良い会社の長期的な業績見通しを過大評価し、同時にそのときに業績が悪いか評判の良くない会社の価値を過小評価することが挙げられる。会社の純資産とか過去の収益記録のような客観的な指標で会社の価値を判断する方法は、もっと未来志向の評価法にありがちな感情的な偏見、会社への偏見などを除くのに役立つ。グレアムの手法は十分に記録され研究し尽くされているが、それでも、それに従う投資家たちに素晴らしい結果を与え続けている。

 グレアムの崇拝者であり最も著名な弟子であるウォーレン・バフェットもまた、安全域の大きなものへ投資するという考え方とマーケット氏の立場で市場を眺めるという考え方を強く支持したが、それにとどまらず、良い投資を探すに当たって、会社の価値とは何かについては彼自身の考えを付け加えて成功した。バフェットは、厳密な意味で計量的に安い株へ投資するだけではなく、ファンダメンタルズが良好な事業へ投資することが投資収益を飛躍的に増やすことになるのを発見した。この発見はおよそ楽隊や花火で祝うような価値のある洞察には見えないが、一見小さなこの修正がおそらくはバフェットを、グレアムの弟子のなかで最も成功した投資家というだけでなく、いろいろな面で世界最高の投資家にした理由であろう。

 バフェットは、強力なフランチャイズ網やブランド、もしくはマーケット・ニッチなどを持つ経営のしっかりした会社に焦点を絞る努力をしている。さらに、彼の投資は基本的に、彼自身がよく理解している会社とか、魅力的な経済上の特色(つまり、豊富な現金収入がある)や特色ある競争力を持つ会社に集中している。こうして、バフェットが実際の価値から十分にディスカウントされていると見る価格で事業に投資すると、経営状況が良好なその会社の価値が将来増加すれば、その一部または全部を所有する彼はそのことによってもまた利益を得る。グレアムが計量的手法で安い投資を探しても、この後から加わる利益は計算に入っていない。バフェットによれば、内容の粗末な事業へ投資するリスクは、最初に買ったときに存在したディスカウントの部分など、余剰価値と見えたものを消し去る事柄が発生すれば消滅してしまうことだ。

 さらに株式投資で成功したチャンピオンに、世界最高のミューチュアルファンドマネジャー、ピーター・リンチがいる。彼が一九九〇年まで運用していたフィデリティ・マゼラン・ファンドは、彼が就任した一九七七年に投資された一ドルが二八ドルの利益を上げた。彼は著書や新聞のコラムやインタビューなどで、ごく普通の個人投資家でも自分がよく知っていたり理解している会社や産業に投資すれば、専門家の成績を上回ることができると強く主張する。リンチに言わせれば、ショッピングセンターでもスーパーマーケットでもまた遊園地でも、どこにいても新しい投資機会は見つけられる。会社研究や調査にそこそこの時間をかければ――平均的な投資家に可能な方法で――経験とか観察したものとかのすべては利益を生む株式ポートフォリオに変身させ得ると、彼は信じている。

 ピーター・リンチのような人にはなれないだろう――彼が最初の本を書いたとき、運用額は一四〇億ドルにも達していた。人もうらやむ運用成果を上げているように見えたビアーズタウン・レディースたちの運用額は九万ドルだった(訳者注 ビアーズタウン・レディース。イリノイ州ビアーズタウンの教会に集う婦人たち一五人の投資グループ)。

 彼らの秘密兵器はバリューラインだった。バリューライン・インベストメント・サーベイは週刊誌で、大手約一七〇〇社の公開企業について完璧な基礎的、統計的なデータを載せていた。毎週、バリューラインは世界中の株式について時代への適応性と安全性の順位を掲載した。バリューラインが適応性で最高点(五段階の一〜二)を与えた株式は、過去三〇年間の市場平均をいとも簡単に上回っていた。バリューラインは株式の順位を決めるため、利益や株価の傾向、予想外の利益や損失、ある種の基本的なファンダメンタルズなどからなる独自の公式を使っている。以前は同社の調査アナリストの見解が順位決定に含まれていたが、これがないほうがシステムの成績が良いということでかなり前に外された。

 このことが、ビアーズタウン・レディースのつまづいた理由を部分的に説明しているかもしれない。彼女たちは、最初バリューラインのトップ銘柄から始め、次に別のデータを使い、さらに自分たち独自の考えを加えていった。自分たちの考えを加えたことで、彼女たちのポートフォリオの成績がバリューラインのコンピューター化したシステムや市場よりもかなり下回ったのは明らかだ。レディースはまたたくさんの秘蔵銘柄を手持ちに加えている。これらが、運用成績にどんな影響を与えたかは分からない。とにかく、バリューラインの記録は彼女らのつまづきで傷ついてはいないのである。

 これ以外にも効果的な投資手法があるのは確かだが、ここで、当然こんな質問が出るのではないだろうか。投資の勝ち組の連中を隠れ家から引っ張り出して、今話しているやり方と比べて見るというのはどうだだろう?

 確かに筋の通った話だが、この質問は多少誤解を招きそうだ。なぜなら、人の通らないところに投資機会を見いだすということは、グレアム、バフェット、リンチなどの勝利の方法を学んで得た知恵を使えないとか、使ってはならないことではないからだ。

 投資家が市場のはるかな片隅で良い銘柄探しに苦労をし始めたとき、鉄床が頭の上に落ちてこないかどうかを知る程度以上に鋭い分析力はいらないというのが無論望ましいことである。確かにそうだし、まったくあり得ないことではないが、残念ながら、人生はいつもそんなに簡単ではない。  巨匠たちの教えを投資に生かすことは、少なくとも投資の決定が重荷になったときには助けになる。勝負する場所を選ぶことが成功へのカギの一つだが、投資の巨人たちの基本的な原則に従うことによって正しい場所に焦点を合わせ続けられるのだ。

 投資利益の秘密の隠し場所

 もう十分に分かったよ。その秘密の隠し場所はどこなんだね?

 心配はいらない。ラブ・キャナル(訳者注 猛毒廃棄物事件があった場所)をのぞいたり、ロシアの秘密軍事基地をスパイして撃ち落されたりするわけではない。事はそんなに単純明快ではない。答えを言うと、相場の利益はどこにでも隠れており、その隠れ場所がしょっちゅう変わる。事実、これら投資機会の裏に潜んだテーマは変化だ。会社が業務上、何か日常的でないことをすると、それが投資機会を創り出す。大きな利益をもたらす会社の行動は会社活動の全域に及ぶ――企業分割、合併、リストラ、新株発行、倒産、清算、資産売却、配当などだ。ただ、利益を生むのはこれらの出来事それ自体ではない。これらの出来事それぞれが新しい証券を生み出し、それに大きな潜在的な投資機会がある。

 嬉しいことに、何かがいつも起こっている。毎週、一人ではとても追いきれないほどの何十もの会社の動きがある。しかし、これがポイントである。全部は追いきれない、追う必要もない。一カ月に一つのチャンスを見つけるだけでも、必要以上、期待以上と言える。この本を読み進んでいくと、次々と具体的な例やレッスンが出てくるので、読者はこう言うかもしれない。「自分がその立場にいたら、あんなことを発見できただろうか?」とか、「自分ならあれは絶対気がつかなかったかもしれない!」。両方ともおそらくはそのとおりだろう。しかし、自分で発見できたり気がつくことも、またほかにたくさんある。新しいアイデアをどこで見つけたらよいかを知った後でさえ、これら特別な会社活動の一〇分の一でもカバーできると考えるのは夢だ。しかし、生涯かけて自分が取り組んでいることから、とてつもない利益を得ることはけっして夢ではない。昔のことわざは正しいのだ――「魚を人に与えれば一日だけ、魚を捕る方法を教えれば一生」

 カネ持ちになる方法はほかにあるのだろうか? ウォーレン・バフェットやピーター・リンチの投資方法に欠点はない。問題は、全員がバフェットやリンチの後継者になるとは限らないということだ。素晴らしい事業に有利な価格で投資するのは理にかなったことだが、どれが素晴らしい事業かを知るのが難しい。独占的な新聞や放送網は一時完璧に近い事業と思われていた。そこへ新しい形の競争が入り、また不況があって、これらの事業も多少とも地面に近づいてきた感がある。世界は複雑で競争の厳しいところであり、将来はさらにそうなっていくだろう。未来にも通用する数少ない優良企業を探すチャレンジは、バフェットが資産を築くときのチャレンジよりさらに厳しいであろう。その仕事に読者は耐えられるだろうか? それでもやってみたいのだろうか?

 未来のウォルマートやマクドナルドやギャップを見つけだすのも厳しい仕事だ。成功より失敗のほうが多いだろう。自分自身の経験や直感を働かせなさいというのが良いアドバイスになる。投資すべてにこのことを適用するべきだ。自分が知り理解しているものにのみ投資すべきだ。ピーター・リンチはとりわけ才能に恵まれた人だった。厳しい決定をするとき、彼は人よりも知ったり理解する能力が優れていたようだ。

 一方、ベン・グレアムの計量的手法は、個人投資家を念頭に置いてデザインされたものだ。PER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)の低い銘柄で広く分散投資されたポートフォリオは、いまだに素晴らしい結果を生みだしているし、この手法をまねるのは比較的簡単だ。グレアムの意見では、もし計量的に二〇〜三〇の割安な銘柄を持てば、徹底的な調査など必要ない。そう、必要ないと彼は言うのだ。私自身、グレアムの本を読み研究することで株式市場に魅せられてしまった。私はいまだにグレアムの教訓をいつでも、どこででもできるかぎり使っている。しかし、自分自身で何かをやってみようとするなら、勝負する場所を選び、他人がのぞいていない場所を探すことだ。そうすれば、グレアムの受け身の手法よりはるかに良い結果を上げられるだろう。

 最近では、自分で調査を行うことがさらに容易になった。グレアムの時代にはまったく手に入らなかった情報や、入手できても煩雑な州や連邦政府のファイルから引っ張り出さなければならなかった情報も現在では簡単に入手できる。最近までその種の情報は、会社がSEC(米証券取引委員会)に届け出を義務づけられている膨大な公的ファイルのなかに埋もれて、入手不可能ではないが近づけなかった。会社についての特別な変化や出来事が記述され、投資家にとって利益の源となるかもしれない文書は一冊二〇〇〜三〇〇ドルで会社から提供されていた。今では、その同じ文書が瞬間的にインターネットを使って電話代の

 会社の特殊状況に投資することに何か問題があるだろうか? 二つのことがすぐ頭に浮かぶ。一つはお分かりのように、多少作業が必要となることだ。良い話としては利益が大きいことだ。もう一つは、人によって当てはまるかどうか分からない。これら会社の特殊行動は終わるのに何年もかかるものもあり、何カ月かで結論が出るものもある。投資利益が最大になるのは、その直前かその期間中または直後だ。投資家がチャンスをとらえる期間は短く、したがって保有期間は短くなる。長期キャピタルゲイン(一年以上の保有)に対する税優遇措置が認められており、また利の乗った証券を売らないで課税所得を繰り延べる利点があることから、保有期間が短いのは、バフェットやリンチやグレアムの長期保有戦術に比べて不利となる。幸いこの不利さは結論が出るまでに何年もかかる状況のみに投資するか、または年金やIRA(個人退職勘定)、またはその他の年金口座で投資することによって避けられる(適格退職年金口座は一般に非課税で運用される)。

 ポイントがもう一つある。人はたいてい群衆のなかでほっとした気分になるが、成功する投資家は良い投資のアイデアのためにそうはならない。それはともかく、変化が起こりつつある会社に投資することは、バフェットやリンチやグレアムにとってもなじみのない考えではなかった事実を知れば、ほっとした気分になるかもしれない。これら偉大な投資家たちも一時はこの分野への投資に時間を費やした。ただグレアムは、自分の知恵を個人投資家に伝えたいとの思いが強かった。彼は計量的に割安な銘柄で分散投資されたポートフォリオを積み重ねていくことがほとんどの人にとって、もっと投資に近づきやすい方法と考えた。バフェットとリンチには何十億ドルという巨額な資金を投資する問題があった。この巨額なポートフォリオになんらかの影響を与えるほどの資金をこの特殊状況に投入するのは困難だった。だが、読者の二億五〇〇〇万ドルぐらいなら問題は起こらないだろう(問題があったら私に電話ください)。

 さあ、腕をまくってゆっくり考えよう――これから道なき道を通って株式市場のトワイライトゾーンに入っていく。人が入るのを怖がる場所――少なくも知らない場所に行くことになる。このほとんど海図もなく航海に出て、そこに埋められた秘密を発見すれば、エベレストに登った人、北極に旗を立てた人、月面を歩いた人など、輝かしい特権を持つ人たちの気持ちが分かるだろう

(オーケー、オーケー――まあ、おそらくクロスワード・パズルを解いたときの気分かな。それもやり遂げたことはないがね。やってみれば、それだって素晴らしい気分ですよ!)。

 何はともあれ、進んでいこう。


ジョエル・グリーンブラットの推薦図書

デービッド・ドレーメン著
『コントラリアン・インベトメント・ストラテジー――ザ・ネクスト・ジェネレーション(逆張り屋の投資戦略――次の世代)』(サイモン・アンド・シュスター 一九八八年)

ベンジャミン・グレアム著
『賢明なる投資家――割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法』(パンローリング刊)

ロバート・G・ハグストローム・ジュニア
『株で富を築くバフェットの法則』(ダイヤモンド刊)

ロバート・ホーゲン著
『ザ・ニュー・ファイナンス――ザ・ケース・アゲインスト・エフェクティブ・マーケッツ(新しい金融――効率的市場からはみ出したケース)』(プレンティスホール 一九九五年)

セツ・A・クラーマン著
『マージン・オブ・セイフティ(安全域)』(ハーパービジネス 一九九一年)

ピーター・リンチとジョン・ロスチャイルド著
『ピーター・リンチの株で勝つ――アマの知恵でプロを出し抜け』(ダイヤモンド刊)

ピーター・リンチ著
『ピーター・リンチの株式投資の法則――全米No.1ファンド・マネジャーの投資哲学』(ダイヤモンド刊)

アンドリュー・トビアス著
トビアスが教える投資ガイドブック』(パンローリング)

ジョン・トレイン著
『ファンド・マネジャー』(日本経済新聞社刊)


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