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ウィザードブックシリーズ Vol.264

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新訳 バブルの歴史 新訳 バブルの歴史
最後に来た者は悪魔の餌食

著 者 エドワード・チャンセラー
監修者 長尾慎太郎
訳 者 山下恵美子

2018年6月発売
定価 本体3,800円+税
四六判 560頁
ISBN978-4-7759-7233-5 C2033

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目次監訳者まえがき序文

狂気の投機史
人はなぜお金が絡むと愚行に走るのか?
「バブル」という人間の強欲と愚行と狂気を描いた古典!

本書は17世紀から現在に至るまでの株式市場における投機の歴史を生き生きと描き出したほかに類を見ない魅力的な書である。投機の精神の起源を古代ローマにまでさかのぼり、それが近代世界によみがえった様子を年代順に、分かりやすくまとめている。近代でのバブルの始まりとは、1630年代にオランダで起こったチューリップバブルだった。

その後、ロンドンのチェンジアリーの株式売買(ワインが1インチのロウソクの火が消える直前に値を付けた者が落札者になるという方式のオークションで売られた)、1720年の悪名高きサウスシーバブル(南海泡沫)と続く。サウスシーバブルではアイザック・ニュートンは「天体の動きなら計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった」という有名な名言を残している。当時、法外な金額をふっかけたり、女性の貞操を守る保険と題してリスクを引き受けるブローカーがいた。また、お金として流通するクレジットノートや宝くじがあった。アレクサンダー・ポープやベンジャミン・ディズレーリ、アイバン・ボウスキー、ヒラリー・ローダム・クリントンなど、バブルで一獲千金を狙った賢明な投資家や愚かな投資家がいた。

金メッキ時代から狂騒の1920年代、19世紀の鉄道狂時代から1929年のウォール街大暴落、ジャンクボンド王のマイケル・ミルケンに代表されるカウボーイキャピタリズムや、日本のバブルであるカミカゼ資本主義、現代の情報時代に生まれたデイトレーダーまで、いつの時代にも存在した、またこれからも存在するであろう人間の飽くなき強欲と愚行と狂気の結末を描いた興味深い1冊!

*本書は2000年4月、日経BP社から『バブルの歴史』として刊行されたものを新たに翻訳したものです。


著者紹介

エドワード・チャンセラー(Edward Chancellor)
ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で歴史を学び、1990年代初期、投資銀行のラザード・ブラザーズに勤務。フリーライターとして、フィナンシャル・タイムズやエコノミストを中心に執筆。本書はチャンセラーの初めての著書で、マネー誌では1999年のビジネス書トップ5入りを果たし、トーク誌でも同じく1999年のベスト10ブック入りを果たした。

■本書への賛辞

「人の狂気は測れない!」――アイザック・ニュートン

「太古の昔から現在に至るまでの投機の狂気について見事に調べ上げよく書かれた本である。今、株式市場に関与している人はもちろんのこと、これから乗り出そうと考えている人にとっても絶対に読むべきものだ」――ジョン・ケネス・ガルブレイス

「17世紀以降の金融投機の歴史を完璧に描き切ったものだ」――エコノミスト誌

「面白いの一言に尽きる……今、過去最大のバブルと言われるITバブルの熱狂のさなかにいる私たちにとって、最高のタイミングで登場した本と言ってもよいだろう」――アダム・スミス(ニューヨーク・タイムズのブックレビュー)

「投機バブルの抄録……バブルにまつわる話が満載で、しかも明確に描かれている。信頼のおける過去の例を引き合いに出しながら、歴史上の人物からの引用句もふんだんに紹介されている」――パブリッシャーズ・ウィークリー

「本書は投資の入門書であり、貪欲、政治的不正行為、狡猾な工作、執着心についての物語でもある。絶好のタイミングで書かれ、情報が満載だ」――カーカス・レビュー

「投機とバブルの歴史をこれほど深い洞察をもって研究した本を、私はこれまで読んだことがない。投資家諸君、この本は絶対に読むべきだ」――バートン・M・ビッグス(モルガン・スタンレー・アセット・マネジメント会長)

「とにかく面白い……チャンセラーの語りのうまさもさることながら、彼には大きな目的がある。その目的こそ、よく知られた古典と彼の本とを分かつものである」――ウォール・ストリート・ジャーナル

「面白くて非常に有意義な本。よく調べ尽くされた本である。チャンセラーはあらゆるものを読んだに違いない」――アダム・スミス(ニューヨーク・タイムズのブックレビュー)

「歴史家と銀行家としてのたぐいまれな才能が融合して生まれたのがこの魅力あふれる本書である。銀行家、ブローカー、投資家、そしてウォール街をただ傍観している者にとっても、これほど素晴らしい贈り物があろうか」――チャールズ・P・キンドルバーガー(『熱狂、恐慌、崩壊――金融危機の歴史』[(日本経済新聞])

「知識と知性のなせる偉業。本書に投資すべし」――ジェームズ・グラント(『グランツ・インタレスト・レート・オブザーバー』の編集長)

「精力的に書かれた本で、読み物として非常に面白い。しかも、博識で思慮深く書かれている。チャンセラーの本を超える本を書くのは困難だろう」――デイリー・テレグラフ

「金融界の愚かさを見事なまでの筆致で……しかも優美にまとめあげたベストヒット作だ。その時代時代の雰囲気を非常によくとらえている」――フォーチュン


■立ち読みコーナー(本テキストは再校時のものです)

目次

監修者まえがき

序文――最後にやって来た者が悪魔の餌食になる
「投機」の意味するもの

第1章 「バブルの世界」――金融投機の起源
近世の金融投機
ベガの『混乱』
チューリップバブル
崩壊するバブル――投機の寓話と伝説
愚か者の浮かれ騒ぎ?
投機のカーニバル

第2章 チェンジアリーの株式売買と一六九〇年代のプロジェクトの時代
信用は金(かね)なり
初期の株式市場――隆盛と衰退
初期の資本市場におけるギャンブル
髪飾りとスカートの丈
スキャンダルと腐敗
老婦人、第一歩を踏み出す
投機パラダイム

第3章 忘れ得ぬ許しがたい南海計画
最初のバブル
南海計画
南海会社の秘史と通俗史
最後にやって来た者が悪魔の餌食になる
暴走
南海株の投機家
女性投機家
ひっくり返った世の中
不愉快な目覚め
合理的なバブル

第4章 黄金の見かけにだまされた一八二〇年代の新興市場ブーム
投機と国債
南米の鉱山ブーム
国内のベンチャー企業
国会と熱狂
とどまるところを知らない不信感
南米の憂鬱
景気循環と投機サイクル

第5章 迅速な交通手段――一八四五年の鉄道ブーム時代
運河バブルの時代
鉄道王
一八四四年の鉄道規制法
バブルの始まり
鉄道の新規公開株の争奪戦
暴走機関車
鉄道王の失脚
鉄道の前途

第6章 金メッキ時代――だまされ、魔法にかけられ、悪魔にとりつかれた時代
アメリカにおける投機の初期の歴史
戦争と投機
新しい取引所とオールドバブル
株価操作で甘い汁を吸う
ジェイ・グールドの暗黒の金曜日
ジェイ・クックの暗黒の木曜日
横領、投機、株価操作

第7章 新時代の終焉――一九二九年の世界恐慌とその余波
将来を抵当に入れる
株の売り
投機プール
株の誇大広告
銘柄選択
資金借り入れの魅力
群衆の狂気
悪の根源
大恐慌に発展
追記――ニューパラダイムとウォール街での一九二〇年代の復活

第8章 カウボーイキャピタリズム――ブレトンウッズからマイケル・ミルケンまで
金融革命
経済的自由主義の復活
デリバティブ革命
レーガン革命
トレーダーの台頭
マイケル・ミルケンの登場
「金融界のヒトラー」、ウォール街に現る
一〇月の大暴落
賄賂まみれの政治と貯蓄貸付組合の危機
一九八〇年代の終焉

第9章 カミカゼ資本主義――一九八〇年代の日本のバブル経済
平和を勝ち取る
財テク――会社による余剰資金の投機
土地本位制
プラザ合意
金権政治
日本の株式市場の価値
日本市場の株価操作
投機家ネットワーク
バブルレディー
新・金メッキ時代
こっけいなモネ――アート市場のバブル
ゴルフクラブ会員権ブーム
バブルの終焉
日本の銀行システムの崩壊
日本システムの危機

エピローグ ならず者の経済学者
トレンドフォロー投機
危険なデリバティブ
ヘッジファンドブーム
「ウエークアップコール」――警鐘
三次元の領域

謝辞

原注
参考文献


■監修者まえがき

 本書はエドワード・チャンセラーの著した“Devil Take the Hindmost : A History of Financial Speculation”の邦訳である。原書は一九九九年六月の発行で、日本でも2000年に日経BP社から『バブルの歴史』という邦題で出版されたことがある。本書は、邦訳が長らく絶版になっていたことを受けて新訳で刊行されることになったものである。ここで著者は古今東西のバブルにおける投機の歴史について代表的な事例を挙げることでその共通性ならびに、狂気および荒唐無稽さを明らかにしている。これが書かれたのは米国におけるITバブルの真最中で、バブルの発生や投機そのものに対するチャンセラーの眼は一貫して否定的であるが、その後に文字どおりITバブルはじけるわけだから、彼の警告は正しかったことになる。

 ところで、第9章にもあるように、日本でも1980年代にバブルが発生し、その崩壊と混乱は私たちの社会に少なからぬ爪痕を残した。そのなかで最も深刻なものの一つは、経営行動や投資行動でのリスクテイクに対する寛容性が失われてしまったことである。つまり組織内においては、「失敗は許さない」という有形無形の圧力ゆえに、多くの企業人が「新しいことは何もしない」という局所解に陥っている。そして投資家は「絶対に損をしたくない」がために、客観的な安全ではなく主観的な安心を優先して不合理な投資から抜け出せないでいる。

 だが、イノベーションとはプレシジョン(適合率)ではなく、リコール(再現率)が重要なゲームである。リスクも本来は善でも悪でもなく、単に正負のリワードの源泉として存在するにすぎない。それは乱暴に扱えば怪我をするが、上手に付き合えば利得をもたらすドライバーにもなる。むしろリスクをとらない、行動を起こさないことは、天から与えられたチャンスや時間を無駄にしていることにほかならない。だから、もし私たちが本当に未来をより良いものに変えたいと願うならば、いたずらにゼロリスクを求めるのは間違いである。また、一般的な判断としてはバブルにおける投機にはかかわり合いになるべきではないのかもしれない。しかし、著者が本書で詳説したように、バブルの構造やメカニズムがある程度客観的にプロファイリングできるのであるならば、むしろそれを利用する方略を考えてもよいのではないだろうか。

 翻訳にあたっては以下の方々に心から感謝の意を表したい。まず山下恵美子氏には正確で読みやすい翻訳を、そして阿部達郎氏は丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。

 2018年5月

長尾慎太郎

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■序文――最後にやって来た者が悪魔の餌食になる

「若いころ、私はギャンブラーと呼ばれた。投資資金が多くなると、投機家と呼ばれるようになった。今、私は銀行家と呼ばれている。しかし、私がやってきたことはいつの時代も変わらない」――アーネスト・カッセル卿(エドワード七世の銀行家)

 今日ほど投機というものが注目を浴びている時代はない。通貨危機、株式市場のバブルと崩壊、デリバティブの失墜、技術革新といった現在の金融・経済ニュースの裏には、必ず投機家の姿が見え隠れする。米国では毎日、何百万という個人投資家が株式の取引を行っている。一九九〇年代のアメリカ経済の成功は、株式市場に流れ込んだ投機マネーが生んだものだった。当時、米国では新興企業が台頭し、旧来の企業は統合され、会社は投資を促され、投資家は株式市場で得た利益を水のように浪費した。繁栄という名の大きな泡が私たちの眼前ではじけた今、私たちが不安に思うのは、繁栄は復活するのか、である。

 投機をめぐっては人々の間で意見が分かれる。アジアの政治家を含む多くの政治家は、投機家はグローバル経済を人質に取っていると警告している。彼らに言わせれば、投機家は強欲と恐怖に駆られ、金融危機に寄生して成長する寄生虫のようなものだ。彼らはエゴイストで、自分の熱い思いに酔いしれる。高揚感を感じたり鬱状態に陥る投機家は、群衆の狭い視野を映しだす鏡とも言えるだろう。群衆にとって、諸国民の富はこの野獣をオリに閉じ込めることができるかどうかにかかっている。一方、欧米の経済学者たちは、投機に対してまったく異なる考えを持っている。彼らは、投機は基本的には無害で、資本家システムが正しく機能するうえで不可欠なものであると言う。この考えに従えば、投機家は新たな情報――最新のインフレを表す数値の場合もあるだろうし、ハリケーンがコーヒー生産に与えた影響の場合もあるだろう――が価格に反映されるのを推進するパイプ役を担っていると言えるだろう。投機家がいなければ、市場は障壁にあふれ、経済危機はもっと頻繁に発生するはずだ。さらに言えば、インターネットなどのニューテクノロジーは株式市場にいる投機家の活動に大きく依存している。投機家を押さえつければ資本主義は活力を失うだろう、と経済学者は言う。

 名前に何の意味があるのか

 どんなに議論を尽くしても、投機はとらえどころのない概念であることに変わりはない。投機が経済的意義を見いだしたのは一八世紀末のことだが、当時でも投機とは曖昧な言葉だった。一七七四年五月一日付の手紙で、ホレス・ウォルポールは、国会議員で銀行家のジョージ・コールブルック卿が織物の着色に使われるミョウバンを買い占めようとして失敗し、その結果破産したとき、彼のことを「いわゆる投機に殉じた人物」と述べている。二年後、アダム・スミスは『国富論』のなかで、突然手に入る富のことを、「時として……いわゆる投機によって得られるもの」と述べている。ただし、国富論に出てくる「投機的商人」とは相場師ではなく、起業家だった。起業家は国富論では次のように描写されている。

決まった一つの確立された、あるいはよく知られたビジネスに従事するのではなく、今年はトウモロコシ、来年はお茶という具合に、行うビジネスが毎年異なる。普通以上に儲けが出そうだと見て取るや、どんな商売にも手を出し、利益がほかの商売と同程度になると思ったらその商売からはすぐに手を引く。

 アダム・スミスは、投機家を「利益のために短期的機会を進んで追求しようとする者」と定義づけている。普通のビジネスマンの投資は程度の差こそあれ安定しているのに対して、投機家の投資は流動的である。ジョン・メイナード・ケインズはこの定義を踏襲し、「企業」を「その存続期間にわたって資産からの見込み収入を予測する活動」と記述している。これに対して、投機は「市場の心理を予測する活動」と述べている。

 通常、投機は、市場価格の変動から利益を得ようとする試みと定義される。この定義からいけば、将来的にキャピタルゲインを得るために今の収益を捨てることは投機とみなされる。投資が受動的であるのに対して、投機は能動的だ。オーストリアの経済学者であるJ・A・シュンペーターは、「投機家と投資家との違いは、『トレード』する意思、つまり証券価格の変動から利益を実現する意思があるかどうかである。そういう意思がある人を投機家と言い、そういう意思がない人を投資家と呼ぶ」と述べている。投機と投資の違いは非常に微妙であるため、失敗した投資は投機、成功した投機は投資と言われてきた。ウォール街の奇才であるフレッド・シュベドは、「投資と投機の違いを語ることは、悩み多き思春期の若者に、愛と情熱は違うものなのだと説明するようなものだ。若者は、愛と情熱は違うことは理解できるが、彼の問題を解決できるほどの違いがあるようには思えない」と述べている。シュベドは、投資の第一の目的が資本の保全であるのに対して、投機の第一の目的は富の増大であるとすれば、投資と投機はかろうじて区別することはできるかもしれないと結論づけている。シュベドが言うように、「投機は少ないお金を多くのお金に変えるための努力であり、これは不成功に終わることが多い。一方、投資はお金が減らないようにする努力で、これは成功することが多い」。

 投機とギャンブルを区別するときにも同様の問題に直面する。悪い投資のことを投機と言うが、失敗した投機のことはギャンブルと呼ばれることが多い。アメリカ人資本家のバーナード・バルークは、事業案について話し合っている場で「ギャンブル」という言葉を使ったがために、ピアポント・モルガンに退去を命じられたことがある。のちにバルークは次のように回顧している――「何のリスクも伴わない投資などあり得ないし、ギャンブルの要素をまったく含まない投資などない」。投機とギャンブルの心理は区別しがたい。投機もギャンブルも富を得ようとする危険なほどに依存症的な習慣であり、妄想行為を伴うことが多く、感情をコントロールできるかどうかによって成功するか否かが決まる。

 投機は人によって取り方が異なるが、元々ある哲学的意味は変わらない――投機とは、確固たる事実的根拠もなく、思案すること、あるいは理論化すること。一七世紀、投機家は「神秘的な観察や研究に没頭する人」と定義された。金融投機家は、紙を金に変える難解な理論を常に構築しようとして大概の場合は失敗する、という意味では、今でも錬金術師と変わりはない。投資家はパフォーマンスを上げるために、時として占星術や霊媒に頼ることがある。現代のニューヨークでも、「自然に輝かしいリターンを手に入れることができる」と約束する占星術ファンドというものが存在する。

 人々は不確実性に直面したとき、占いに走る。金融的な不確実性のことを「リスク」という。経済学者はギャンブルと投機を次のように区別する――ギャンブルは娯楽のために新たなリスクを丹念に作りだし、投機は金持ちになるためには避けることのできないリスクがあることを前提とする。つまり、ギャンブラーは馬に賭けた段階でリスクを作りだすことになるのに対して、株を買う投機家は既存リスクを移転させるだけである。一般に投機は投資よりもリスクが高いとみなされる。証券分析の父と呼ばれたベンジャミン・グレアムは、「堅実な投資は、元本の価値が不測の逆境においても維持されるように『安全域』というものが重要なのだ」と述べている。情報不足の衝動的な投資は、投資家が時間をかけて潜在的リターンを調査・査定する投資よりも投機的要素が強い。さらにグレアムは、借りたお金で株を買うのは投機であるとも言っている。資本家はさまざまなリスクに直面する。慎重な投資はリスクが低く、無鉄砲なギャンブラーはリスクが高い。投機はその中間に位置する。

 市場は効率的である――つまり、株価は本質的価値を反映している――、そして投機家は自分たちの富を最大化することに熱中する合理的な経済主体であるとする近代経済理論を前にすれば、投機の歴史など実につまらないものに映る。効率的市場の世界では、アニマルスピリットなど存在せず、群集心理もなく、強欲や恐怖といった感情もなく、トレンドフォローの投機家もいないし、「非合理的な」投機バブルも存在しない。しかし、古来からの投機家の活動は、経済学者が記述する何よりも豊かで、モチベーションも多岐にわたり、素晴らしい結果を出しているように私には思える。私のアプローチは、ディケンズの友人で『狂気とバブル――なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(パンローリング)の著者でもあるチャールズ・マッケイのアプローチに近い。チャールズ・マッケイは、チューリップバブル、ミシシッピバブル、南海バブルというヨーロッパの三大バブルについて初めて書籍にした人物である。マッケイは、投機バブルは社会が時として妄想や大衆の狂気に流される傾向の現れであると述べた――「よく言われるように、人間は群衆で考える。人間は群衆になると理性を失うが、正気を取り戻すときにはゆっくり一人ずつ取り戻す」。

 投機バブルの歴史を描いた書物はマッケイのもの以外にない。私はこのテーマについて調べ直すときではないだろうかと思ったが、投機の歴史を徹底的に洗い直して書こうとは思わなかった。とても手に負えるような作業ではなく、二番煎じになるのがオチで、とても貫徹できるようなものではないと思ったからだ。そこで私は、現在の投機に時折触れながら、一七世紀のオランダから一九八〇年代の日本に至るまで主要な経済大国で発生した投機事件に焦点を当てることにした。投機は社会的事象としてしか理解できないことであり、投機の歴史は単なる経済事件の記述ですませることはできず、社会史としてとらえるべきものであると私は思っている。特に重要なのは、投機に対する政治家の行動や態度である。なぜなら、市場を支配する法律は政府によって作られ、執行されるからである。自らの利益のために投機バブルをあおる政治家も多い。読者諸氏が本書からマッケイの意気込みのようなものを感じ取ってくれれば幸いだ。「(投機という)このテーマは小説家も欲しがるほどの関心を引き寄せることができる」という彼の考えにはきっとうなずいてくれるはずだ。国民全体が理性をかなぐり捨て、黄金のビジョンを追いかけて狂気に走り、そして窮地に陥れられるまで、まるで鬼火に惑わされたかのように、それが現実であることを頑なに否定し続けても、得るものは何もないのではないだろうか。



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