まんが 名将言行録
原 作:岡谷繁実
作 画:いしはら俊、池田鷹一、黄十浪、服部一巳、洋武、摩周子
定 価:本体1,200円+税
体 裁:四六判/176ページ
発売日:2021年12月
ISBNコード:978-4-7759-4262-8
500年前の叡智を現代ビジネスに生かす!
本書は150年読み継がれた『名将言行録』の初のまんが書籍化です。『名将言行録』とは修史事業に大きな功績をあげた岡谷繁実(おかのやしげざね)が16年をかけてまとめ上げた戦国武将や大名たちの人物列伝です。
1869年の出版以降、歴史ファンのみならずとも広く読み継がれてきたのは、武将たちの人間味あふれるエピソードには、いつの時代も通じる人間力の本質が表れているからでしょう。
まんがシリーズ第一巻のテーマは、リーダー論。三英傑といわれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとした、名将・智将が20人登場します。もちろん、それらの武将の逸話を通して、客観的な評価、自己分析、人材育成、情報収集などが理解できます。さらに自分の立場からだけではなく、上司や同僚・部下に置き換えてみれば、どの立場であっても相手や状況の理解につながり、日々の仕事に応用が可能となります。
- 織田信長が若手採用に力を入れた人材活用術
- 好敵、武田信玄と上杉謙信の間に引き継がれた勝利の理
- 直江兼続に見るナンバー2の心得
- 優秀すぎた故に閑職に飛ばされた蒲生氏郷の苦悩
- 天才軍師黒田官兵衛に見る最終勝利の形 など
歴史にそれほど興味がない方でも、まんがだからこそ各武将の心情や思惑などを身近に感じられることでしょう。
もちろん、よく語られる逸話のみならず歴史本には載らないようなエピソードを収集しているため、歴史ファンも楽しめる内容です。
世界全体がボーダーレスと化し、人や物資以上に情報や疫病があっという間に駆け巡る現代。組織を機能的に活動させるにはどうすればよいのか、仲間や部下の士気を高めて最高の成果を上げるためにすべきことは何か。状況判断を間違えれば一夜にして戦況が変わってしまうほど熾烈な戦いの中で結果を残した武将たちの哲学は不変の教材と言えるでしょう。
現代に名を遺す多くの名将たちが活躍した戦国時代。
彼らはその時を、命を賭して、ただ懸命に生きただけ。
だがその活躍や苦悩は、刃を交える「戦」とは無縁の
現代においてもなお、熱く語り継がれている。
それはなぜか―
戦局を読む判断力 相手の出方を読む洞察力
引き際を知る冷静さ 仲間の士気を鼓舞する立ち居振る舞い
彼らが魅せたさまざまな教訓は、
戦場をビジネスの場に変えた現在でも十分活用できるからだろう。
時に無謀に、時に弱腰に見える状況も
彼らがどんな価値観・哲学をもって物事に対峙し窮地を脱して、
己を、一族を勝利に結びつけたのか。
一話ごと簡潔にまんが化した本書でその想いを感じてほしい。
名将言行録とは
岡谷繁実が、1252冊にのぼる歴史書を16年の歳月を費やして、まとめ上げた192人におよぶ武将・群雄たちの逸話集。主に戦国時代の武将をはじめ江戸時代中期の大名など、それぞれの多彩な人物像に迫る。明治2年の初版刊行以来、現代語訳などを通して形を変えながら今も読み継がれている。
目次
激闘創世期編
◆其之一『戦国武将の祖に見る洞察力』北条早雲(画:黄十浪)
◆其之二『豪将が魅せた心理戦の極意』太田道灌(画:洋武)
◆其之三『忠勇無双の信頼獲得術』山中鹿之助(画:摩周子)
◆其之四『謀将ゆえ持つ客観力』毛利元就(画:いしはら俊)
群雄割拠編
◆其之五『甲斐の虎流�狆’圓陵�論�瓠�武田信玄(画:池田鷹一)
◆其之六『進化する軍神のリーダーシップ』上杉謙信(画:黄十浪)
◆其之七『ナンバー2の視点が冴える分析力』直江兼続(画:洋武)
◆其之八『天才武将が求めた合理主義』織田信長(画:摩周子)
◆其之九『窮地で部下をまとめた求心力』柴田勝家(画:服部一已)
◆其之十『西国将軍が徹底した投資の心得』池田輝政(画:池田鷹一)
◆其之十一『優秀すぎた知将ゆえの苦悩』蒲生氏郷(画:黄十浪)
◆其之十二『本質の充足を知る九州の豪将』島津義久(画:洋武)
◆其之十三『奥州の覇者をつくった即断即決』伊達政宗(画:摩周子)
◆其之十四『豪勇鎮西一の武将に映える冷静さ』立花宗茂(画:服部一已)
天下泰平編
◆其之十五『たたき上げで培った観察眼』豊臣秀吉(画:池田鷹一)
◆其之十六『天才軍師が教える勝利の形』黒田孝高(官兵衛)(画:黄十浪)
◆其之十七『無骨者が敵将に見せた真偽眼』福島正則(画:洋武)
◆其之十八『清正公の適材適所の人材活用術』加藤清正(画:摩周子)
◆其之十九『日本一の兵が貫いた強い信念』真田幸村(画:いしはら俊)
◆其之二十『天下平定を成した狸親父の太っ腹』徳川家康(画:池田鷹一)
著者紹介
岡谷繁実(おかのや・しげざね)
生・天保6年(1835)〜没・大正9年(1920)。山形藩秋元家の藩士に生まれるも、秋元藩主が館林藩への国替えを命じられたため、弘化3年(1846年)に館林に移る。館林藩の重臣、勤王家。藩主の命で幕長戦争の回避を図ったが、元治元年7月の蛤御門の変の際には幕府に嫌疑をかけられ禁錮される。明治になり帰藩し、家禄を復した。行政官になるも、辞して歴史を研究。維新後は修史事業に大きな功績をあげた。行年86歳。






