あとがき
日本人は「金(きん)」については偏見をもっているようです。金を儲ける人はお奉行様と結託した悪徳商人であり、貧乏人、百姓はいつも善人と相場が決まっていました。その悪徳商人がお奉行様のふところにそっと入れるのが、いつも小判でした。「○○、そちも悪やのう」というコマーシャルまでつくられています。水戸黄門がいつももてはやされる理由がそこにはあるのではないでしょうか。これではなかなか「金が大好き」とは人前では言いにくい雰囲気です。
だが、歴史を紐解いてみると、まったく別の顔が見えてきます。奈良の大仏や金閣寺を見るまでもなく、日本人は神話の時代から金をこよなく愛してきました。その集大成が秀吉の安土桃山時代でした。そこでは、何のてらいもなく、金の輝きをみずからのものとして、愛でていたおおらかな姿が浮かび上がってきます。それが、戦乱に荒れた世を明るくし、人々の胸に明るい未来を感じさせたのではないでしょうか。
ところが、江戸時代に入って芭蕉の「わび」、「さび」の風が広がるとともに、急速にしぼんできたのです。「人は食わねど高楊枝」とか「宵越しの金は持たない」といった、やせ我慢風潮が広がり、金は欲しいがそれを言えない倒錯した心理が蔓延したのです。こうみると、金をなんとなく敬遠したのは、江戸時代のほんの二五〇年ぐらいだったことが分かります。
しかし、最近、日本人も他の世界と同様、金に目を向けだしてきたようです。まだ、その動きは中国、インドに比べると小さいのですが、これは日本が両国に比べ、政治、物価が安定、必要性を感じている人が少ないからかもしれません。
だが「金が好き」と、堂々と言える日はもうそこまで来ているのかもしれない。国際的に見ても、世界がデフレよりインフレに向かっている現在、金のもつ存在感は増すばかりでしょう。インド、フランスでは金貨を持ち、いざという時それを売り払って生活を支えるといいます。日本でもGDP(国内総生産)の二倍の国債をかかえ、いつハイパーインフレが来てもおかしくない状況です。 そのような時が来ない方がよいに決まっていますが、「いざ」に備えることは必要です。
この本を読んでも「いざ」の参考にはならないにしても、金が好きになれば、いずれは心理も変わっていて「財産の一部は金にとなる人も出てくることでしょう。
そんな人々の参考になればとこの本を書いて見ませした。金に淫することはともかく、その輝きを自己の生活に取り入れた時、人生はもっともっと豊かになるのではないでしょうか。
その日が来ることを心待ちにしています。
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